じゅんこイズム ~詩とか怪文書~

私の隙間に住み着いたあれやこれやを綴ります。好いてくれたらうれしいですが嫌ってくれても良いのです。

【ゆらり ゆらりと くらげが】

※【】このカッコがある時は詩です

 

 

 

 

 

ゆらりゆらりと くらげがゆれる

 

ゆらりゆらりと けしきがゆれる

 

ゆらりゆらりと あなたがゆれて

 

ゆらりゆらりと じめんがゆれる

 

ゆるりゆるりと なかみがとけて

 

ふわりふわりと からだもういて

 

 

 

 

どしん

 

と地面に落ちる

 

 

物語のはじまり

全わたしが土下座

もう、嘘嘘嘘。嘘の総合商社ですな。

 

 

経緯を説明したいけど上手くできない。

 

ここ2週間ほど壮大に臍を曲げ、嫌なことがフラッシュバックしブラックなボックスがオープンインザナイトでした(意味不)。

 

発端は大腸ポリープ摘出からの生検結果を聞きに言った日。休みを取ると言ってた主人が仕事になったのか声もかけずに早朝家を出てしまい、午後まで連絡がつかなかったこと。

 

で、毎回友達たちが優しいメッセージをくれるから対比でこんにゃろ感が募り喧嘩に発展してしまった。

 

地雷ワードを言われたので1週間ほど完全にコミュニケーションを絶った。というかできなかった。「そのくらいで・・・」を我慢し続けて病んだ経緯があったことも手伝った。

 

 

その間、縁を切り損ねた人からの連絡が入ったり、話を聴いて欲しい友達から逆に愚痴られたり踏んだり蹴ったり。うまく言葉にできなくてまたそこでもモヤモヤが募り。

 

 

あらゆる嫌だったことを頭の中でひっくり返して咀嚼し直してはイライラを持続させた。

 

 

一方で主人や周囲に依存的な自分にも気付いて、今の自分を脱するために何が出来るかを模索もしていた。

 

 

良い悪いは脇に置いて自分の気持ちを吐き出しながらそれ系の本や音声コンテンツやワークの力を借り掘り下げていったら、理不尽な過去に縛られているわたしがいた。

 

「あー、わたしは母や父の胸で泣きじゃくった事がないな。それがしたかったんだけどさして貰えなかったから我慢し始めたんだな。」

 

と、泣きながら気付き。

 

そんで、自分が思う以上に自分に蓋をしてたことを知る。

 

 

自分を知るためにできるだけ素にしていこうとシンプルを心がけ、服を気にしなくなったら人の服が気にならなくなり、こだわりだと思っていた場所とかも嘘みたいに気にならなくなり、人の目もそんなに気にしなくなり、家族のことが疎ましく無くなり、自分責めが無くなり。

 

どこへ行くにも持っていた大きめのバッグもやめ、財布もやめ、ラフな朝の散歩からそのまま思い付きで渋谷のセミナーに行き、寝たいときに寝たいだけ寝て言いたい事を言ったらヒントになる物と出会い、

 

 

ああ、わたしはとても人を恐れていてそのために作った色々な嘘を纏って頑張って来たのだな、周りには迷惑に思われただろうけど我ながら偉いしそんなとこ可愛いな、と思えた。

 

で、忘れていたけど自己中心なようでやっぱり根底にはいつも確実に『誰かのために』があったなあ、と思い出して。ただ、それが確実にその誰かとやらに届くよう、うまくデザインできていなかったことがすごく良くなかった。

 

 

出会ったのに繋がれないまま人が去っていくことを心から許可できたついでに『自分自分』を守る必要が無くなってしまった。寂しさはあるけど仕方がない。相手に合わせ、繋ぎ止めるために使っていたエネルギーは新たな貢献に使うべきものだった。

 

 

もっと自覚をもって人の役に立つことをしていこう。それができるわたしだと言うことを恥ずかしいくらい忘れていた。善悪ではなく、どんなに過去をほじくっても出てこないものを欲しているんだからもうほじらない。知ってはいたけど、どんなに振り返ってほじっても過去は変わらない。

 

 

なんの話かよくわかんないし、とても個人的なあれなんだけども、不快にさせた人ごめんなさい。上手にできないわたしでごめんなさい。これからどう振る舞って行けるか分からないけどどうか傷の浅い内に去ってください。わたしと関わらない世界にも幸せはあります。そして「別にまだ見てられるけど」という方々、きっと何かお返しできると思います。引き続きよろしくお願いします。

 

 

 

微笑合掌

モデルを辞めて

事務所と契約更新しなかった。前から違和感は感じていたんだけど踏ん切りがつかなくてだらだらとしてたから。

 

 

ほっとした。

 

 

もう、あのわたしらしくないパステルカラーやヒラヒラスカートを撮影のために買い漁ったり、ニコニコ着て写真に映らなくていい。

仲間より先にわたしに案件が来て目の前で悔し泣きされなくていい。

 

 

ちょっと思ってた世界と違うなっていうのはモデルスクールの時から気付いてた。でも途中で辞めるって言えなかった。何かの肥やしになるはずだって。

 

でも、期待したものは手に入れられなかった。

 

 

楽しかったしどちらかって言えば向いてると思う。数少なかった現場でもカメラマンやスタイリストに気に入られた。でも、一番求めていた『わたしより健康や美容やファッションを分かってる人』や『それらの意識が高い人にわたしの知識をシェアする機会』に出会えなかったんだよ。それだけ極められた、という事なんだろうけど期待してたから軽く絶望した。

 

 

体はモデルスクールを始める前のが痩せていた。カリキュラムにあったダイエット講座のプレッシャーから全く減らなくなり太り始めた。恨み節で申し訳ないけど自己流で健康的に気持ち良く痩せ続けていたのにその努力を低い知識を以て否定されたのが何よりも辛かった。

 

体の歪みや適性、プロの技術を知れたことは財産だし色んな方に出会えたのは嬉しかった。

 

でもそこにしがみ続けられなかった。飛躍して行く自分を信じることも許すこともできなかった。否定してきて足を引っ張るような人に自ら近づいたりしてしまった。

 

 

3年かかってやっと外した思い込みや自己否定を今やすっかり取り戻している。

 

 

結婚15年にして勇気を出しやっと心の繋がりを掴めた夫とのことも「あなたが上手く行ってると思っているだけで上手くいってるはずがない」と罵られたことがきっかけで戸惑い始め、心を開く事ができなくなり距離ができてしまった。1年たったがまだ戻せない。もう自信がない。

 

 

 

 

 

 

 

 

あの日に帰りたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いや、帰る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

絶対に帰るんだから。

田舎者大嫌い

【田舎者大嫌い】

 

あー、ひどいこといいますよ。

 

ど田舎教育で品も教養もない人は自分自身を貶めるためにわたしたちも巻き込むよって話。

 



何十年も前、わたしが女子短大時代に学年合宿でテーブルマナーの講習があったわけ。

 

もう、そういうカリキュラムがあるのを事前に知らされているのだから恥をかきたくないなら手引きのひとつでも読んでこいと思うのだけど殆どの学生が知識0で参戦しててまず引いた。

 

会食は同じテーブルの人とのコミュニケーションが主旨。むしろフォークナイフなんかどうでもいいくらいそちらが大事。

 

しかし、わたしの向かいに座った彼女は隣の子とだけコソコソ喋りこちらに目も向けない上に、挨拶も会話も受け取らない。

 

挙げ句、さりげなくメイクを誉めたら

 

『え?なにやだ~気持ち悪いんだけど~笑』

 

と、言われた。同じクラスだよ。学期始めだよ。。。

 

(マナー本にも共通の話題が無いときは服やメイクを褒めろとあるんだよ。ガチだよ。)



たまに自分を誉めた相手に対して【気持ち悪い】という単語を使う女子がいる。全否定するのは構わないけれどボキャブラリーが無さすぎる。キャッチボールの球をドッジボールで返す感じ。その時は何が起きたか訳が分からなかった。

こちらを悪く言う必要性を全く感じないもんだからわたしは理不尽に踏みにじられた気がして「こういう輩は本気で死に絶えればいいのに!」とよく思ってたんだけど最近になってやっと少しだけ気持ちが分かってきた。

 

会話について言及しているマナー本が少なすぎるのは日本人が『会食』に馴染まないからかも知れない。


 けれど、たとえ指南書があったところでその意味するところを相手が理解しなければ前述のようになる。

相手の教養あってこそのマナーは残念ながら時代遅れになってしまった。田舎者は田舎者としか会食しなくなっちゃってるし(わたしも田舎者ってことですな)。


ノーベル賞でも取ればいいけど自分だけ『ちゃんとした』お偉いさんに呼ばれるとかもう無いでしょ?お金や名声があっても教養無い人だらけだし、あろうことか逆にそれが可愛がられたりするしね。

 


食事中の会話について国際的には

1、政治の話

2、宗教の話

3、お金(財産)の話

4、性の話

5、同じ店(会場)にいる個人を揶揄する話

 

は法度とされるそうで(なぜかは各自調べて)。


また、食事中に関わらず同席中の数人にしか通用しないエピソードや隠語、単語を当たり前に出すのも蚊帳の外を演出してしまい大変失礼。

 

相手の口に物が入っているタイミングで話しかけてもいけないし、こちらももちろん口に含んで話してはならない。だから必然的に食べるスピードは遅くなる。そして次の皿も同じテーブルの方と同時に楽しむため戴くペースを合わせるのがスマート(これ美味しいね、って会話ができるように)。ガツガツ先に食べたりいつまでもカトラリーを寄せずにノロノロ食べるのも無粋。

相手からの会話をタイミングよく受けるために一口は小さくなる。自動的に皿も無駄には汚れないはずなんだけど。

 

「え、普通そんなのしないし。てゆうか聞いたこと無いし、やってる人いんの?知り合いとしかご飯食べないからっていうか高い店なんか行かないから必要なくない?」

 







田舎者。

 




例えなんだけど、江戸時代に江戸の町は人で溢れかえってて。その大半を占めた商人達が「江戸しぐさ」と呼ばれる美しい【価値観】を産み出したそうで。

考え方から身のこなし、商売の信条までと幅広く。それを頭で考えるなしに「癖」にまで昇華出来てこそ一人前の【江戸っ子】と呼んで江戸生まれでも江戸しぐさがなってない人物は『江戸の恥』、江戸っ子ではないとされたのだと。

 

そういう美しさが分からない人(できない人、ではない)とわたしが仲良くなれるわけないんだってば。だから孤高なんだよ(自分で言う)。一時期それを気にしないでみんなに合わせて背中を丸めて汚くご飯食べて噂話に興じたらたらすっごい友達沢山できてまじビビった。

 

染み付きすぎて直せないかもだけど、でも気持ち良くないもんは気持ち良くないって気付いて。

 

そういうこともあんまり言うもんじゃないし、だいいちそれにイラつくって言うんなら距離を置かないわたしが全部悪い。


ただ、着物好きさんと同じで自分が着て出かけたり着物好きなのよって公言してると以外に見た感じ地味な人が

 

「じつはわたしも・・・」

 

って話しかけてくれる感じがある。偏屈な物言いかも知れないけど、そういう隠れた「一人」に勇気あげたり繋がれたりしたらそれだけでいいかもなとも思うわけ。

 


さすがに「気持ち悪いんだけど」は言わないんけど、最近はわたしも場合によってはわざとドッジボールするようにしてる。ていうかこちらからキャッチボールしてるのに自覚なく打ってくる人がいるから。なんかやだ、と思ったら表現しないと普通の人(内心すげーバカにしてるけど)には伝わらないってことが分かったから。前は『こちらの受け取り方で気付いてね、それが品でしょ?』『あーやっぱ分かって貰えてないのか。。。まあ、我慢できないほど不快というわけでもないし、相手が誰であれ悪気はないし、わたしの口から失礼なことは言いたくないからしょうがないよね。』と思っていた。相手がどんなに失礼であっても。

 

でも一旦我慢しちゃうとある日突然限界がくるから相手には逆に迷惑なんだよね。だからもう、早い内に嫌ってもらうしかないという結論に達したわけで。


わたし性格、良くないです。意地悪です。優しくないです。むしろ凄く厳しいです。

 

田舎者、お断り❗

 

#気持ち良く生きたいだけ

#我慢した自分が悪い

#生まれは関係ない

#田舎者っていうのは思いやりや作法の美しさが分からない人もしくは教養の無さによる居所の悪さを人のせいにする人

ゲスでクソ

いつかのわたし、もしくはあなたに。

 

 

もうさ、

 

足りないものを補おうとしたり違う自分になろうとしたりも確かに大切なんだけど、おんなじような気持ちを何度も味わってない?

 

だとしたら、認めんのやだけど少し違うのかも知れないよね。

 

頑張れば頑張っただけ手にするものは増えるけど、最初の頃の

 

渇き

飢え

欠乏感

欲求

感情

 

は1mmも変わってなかったりしない?

 

 

それ、足りないからじゃなくて「そういう人」なんじゃない?

 

自分の事を未完成でみすぼらしいとか、何かを手に入れさえすればって思いすぎなのかもよ。

 

 

焦って

傷付いて

怒って

やるせなくて

許せなくて

意地悪で

心が狭くて

迷惑かけて

カッコ悪い

 

あなた。

 

 

いーじゃん、それで。

 

もう、あのグループに入ろうとしなくていいよ。バカにされたっていいじゃん。距離取ろう。

 

光なんか浴びなくたっていいよ。もう、ゲスでいいじゃん。クソでいいじゃん。それでも生きることを選んで来たんだから偉いじゃん。

 

もしかしたらいつか、わたしが先を歩いて見えることがあったとしても、多分ずっとあなたとおんなじ組なんだよ。


隣にいるからさ、一緒にはじっこ行かない?

 

 

 

 

 

 

微笑合掌

諦めた

人にエロいエロい言われ過ぎるのがなんか嫌だなと思う

 

という趣旨の投稿をした。

 

その数日後、何の気なしに家の鏡を配置換えしたことを忘れていてふと、リビングでくつろぐわたしと目があった。

 

 

 

 

・・・エロい。

 

 

 

 

なんだこれ。

みんなが見てるわたしってこんななの?

 

 

 

普段「鏡を見るぞ」「写真を撮るぞ」というわたししか見ることがない。仲間で出掛けるとかもないから勝手に写真に写ってしまう事もない。大概の人は他人から見た自分のことを知らないという。

 

これまでモデルの仕事に活かすため写真慣れしようと自撮りを沢山してきたけど多少は顔作ってたり演出しているし、その時仲良くなった人のリクエストでやっていたのでわたしにとってはどう見えててもあんまり味がしてなかった。

 

 

でも、素の顔をみたら綺麗とか色っぽいじゃなくてなんか「エロ」かった。他の表現方法がないんだから仕方ない。。。

 

(怒っちゃった人ごめんなさい。)

 

 

自分で良く分かってなかったから「もうそういうキャラでやればいいのか?怒」と開き直ったり仕方なくそちらに寄せるようなことも正直あった。

 

でも、たぶんそういうことじゃないね。

 

 

地味な色の服をきちんと着てしっかり寝て食べて真面目なことを考えてアンニュイでもウフフでもないフラットな時間だったのに、目に入った瞬間に自分でエロいと思った。なんか、水分というよりは表に出ない『湿度』を感じる人だった。自分が何にエロさを感じているのか分からないからモヤっとする。意味が分からない。なんでだろう、なんでだろう、と考えれば考えるほどに『反復による呪い』がかけられてビジュアルが脳裏に張り付いて、もう出られない。

 

 

そういえば高校生の時、普通に電車のドアにもたれてたら

 

「え❓何、どうした⁉

今、一瞬桜井幸子(ピュアでアンニュイな女優さん)みたいになってたよ❗」

 
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とか

 

 

「服も普通だしなんにもやらしいことないのにそういう気分にさせられる事がある」(←今思うとすごい発言だな)

 

とか

言われたことがあったね。認めるのに抵抗あるけどやっと分かった。こんな人が下着の写真載せてたらそりゃー叱られるわね。申し訳ない。

 

 

ただ、一方でそれがどんな意味を持つかは関係なくシェアしたいわたしもいるからたちが悪い。

 

どこかわたしの中でわたしは

 

外身=物

中身=人

 

なので、わたしにとってかっこよいポーズや綺麗なショットはインスタ映えするオシャレご飯とあんまり価値が変わらない。と、いうかそう思わないと生きてこれなかった(と思ってる)。

 

 

出たくないけど外に出ないと生活できない

→出たら人目に触れる

→学校や職場で人と関わる

→嫌われたり好かれたり蔑まれたり取り合われたりする

→わたし一人だけで完全に所有できない

 

→共有物

 

 

になってしまった。

 

 

出せ、貸せ、隠せ、所有させろ、じゃなくてわたしの好きにできないんならみんなで勝手に仲良く楽しんだらいいじゃん、と少し投げやりになってた。一番それが楽だし平和だと思って。

 

でもそれって自分がないね。

 

 

中身も外身も人でいいのにコミュニケーションができないから戦わないで逃げちゃった。

 

 

エッチな話も好きだし、自分の体も好きだよ。でもいくら喜ぶ人がいたって別に提供する義務はないし嫌なものは嫌って言っていいんだよね。今回は「エロいエロい言われるのが嫌」って自分から言ったから答えが見えたのかも知れないね。

 

もう、エロいのはしょうがないからどうにかするのは諦めて尖らずふんわり生きて行こうと思う。そこだけがわたしの価値じゃないし、狙ってないなら同時に希有な価値のはず。何をしても評価から逃げられないんだから繕うだけ無駄だ。

抽象度を上げる

昨日はお友達とのお喋り会議。


自分で看板背負ってビジネスやイベントをしてる仲間。利害関係はないし、みんな心の勉強もしてるから一緒にいても苦にならない。何時間でも喋っていられる。

 

 

各々の近況や他で仕入れてきた話をしたり聴いたり。

 

 

 

エネルギーを効率良く使うためには

【漏れを無くすんだよ】とか

【抽象度を上げるんだよ】とか。

 

 

 

エネルギー漏れ、というのはやる気や生命力が減る活動(イヤイヤやる仕事、不健康な生活など)で電池切れをおこしてしまうこと。そのために自分にとって本当に必要なことができなくなっていく。


 

抽象度を上げる、とは具体的に達成したい目標や目的の先に、より大きな命題(人の役に立つ、世の中をより良くするなど)を掲げる、ということ。

 

 

 

 わたし今までいろんな

 

コンサル

セミナー

コーチン

カウンセリング

 

などを覗いてきて、自分なりに少しずつ自分の世話が分かって来たつもりでいて。みんなの話を聴いていてあながち間違ってないぞと思ったり。

 

 

『遅くてもこれがわたしのペースなの』

 

『分かってるけどそれは嫌』

 

中々胸を張ってそういうことを言えなくわざわざ自分から振り回されていた。

 

自分が『こう❗』と思っても誰かが喜んでくれるなら平気で曲げられる。自分に得がなくても誰かの不安が無くせるなら苦しくたって構わない。そんな気持ちで生きてきた。

 

普通の人はそこまでしないから気付いて貰えないし適当に扱われたりバカにされたりして。

 

「なんか知らないけどやってくれる」

「自分も得があると思って来てんだろう」

「元々こういう人なんだ。ラッキー」

 

 

違うんだけど。

全然違うんだけど。

 

 わたしは愛を注げば注ぐほど孤独になって循環できずに自分から関係を捨ててしまう。


それは相手のためのようで自分がどう思われたいか、安心したいからという自己中心の現れだったのかも知れない。自分で自分を満たせなかったから。

 



 

誰も見ていない所でする善い行いを【陰徳を積む】と言うのだけど、それはすごく積んでるんじゃないかと思う。

それを自分自身が信じてあげて褒めてあげないといけない。

 

人のために何かしなさい

 

は自分のためが当たり前の人に言う言葉で、人のためばかりになって壊れそうなとこに言われたら『死ね』に近いんだよね。

でも冷静に何が本当に自分のためなのか、人のためなのか分からないとどちらへ転んでも幸せになれない気がする。

 

 手を差し伸べることで逆にダメにしてしまう人も残念ながらいる。ミイラ取りがミイラになってはいけない。

わたしにだって成さねばならないことがある。

 

そう『決める』ところから物語は始まって行くからまた気持ちを新たに進んで行きたい。

 

ご一緒してくれたお二人。いつもありがとう。嬉しいです。

 


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レモンバーベナハーブティーを頼んだら『じゅんこさん❗インスタ映えですよ❗撮らないと✨』と言われたので撮った。さっそく他人軸! 


 

微笑合掌