じゅんこイズム ~詩とか怪文書~

私の隙間に住み着いたあれやこれやを綴ります。好いてくれたらうれしいですが嫌ってくれても良いのです。

抽象度を上げる

昨日はお友達とのお喋り会議。


自分で看板背負ってビジネスやイベントをしてる仲間。利害関係はないし、みんな心の勉強もしてるから一緒にいても苦にならない。何時間でも喋っていられる。

 

 

各々の近況や他で仕入れてきた話をしたり聴いたり。

 

 

 

エネルギーを効率良く使うためには

【漏れを無くすんだよ】とか

【抽象度を上げるんだよ】とか。

 

 

 

エネルギー漏れ、というのはやる気や生命力が減る活動(イヤイヤやる仕事、不健康な生活など)で電池切れをおこしてしまうこと。そのために自分にとって本当に必要なことができなくなっていく。


 

抽象度を上げる、とは具体的に達成したい目標や目的の先に、より大きな命題(人の役に立つ、世の中をより良くするなど)を掲げる、ということ。

 

 

 

 わたし今までいろんな

 

コンサル

セミナー

コーチン

カウンセリング

 

などを覗いてきて、自分なりに少しずつ自分の世話が分かって来たつもりでいて。みんなの話を聴いていてあながち間違ってないぞと思ったり。

 

 

『遅くてもこれがわたしのペースなの』

 

『分かってるけどそれは嫌』

 

中々胸を張ってそういうことを言えなくわざわざ自分から振り回されていた。

 

自分が『こう❗』と思っても誰かが喜んでくれるなら平気で曲げられる。自分に得がなくても誰かの不安が無くせるなら苦しくたって構わない。そんな気持ちで生きてきた。

 

普通の人はそこまでしないから気付いて貰えないし適当に扱われたりバカにされたりして。

 

「なんか知らないけどやってくれる」

「自分も得があると思って来てんだろう」

「元々こういう人なんだ。ラッキー」

 

 

違うんだけど。

全然違うんだけど。

 

 わたしは愛を注げば注ぐほど孤独になって循環できずに自分から関係を捨ててしまう。


それは相手のためのようで自分がどう思われたいか、安心したいからという自己中心の現れだったのかも知れない。自分で自分を満たせなかったから。

 



 

誰も見ていない所でする善い行いを【陰徳を積む】と言うのだけど、それはすごく積んでるんじゃないかと思う。

それを自分自身が信じてあげて褒めてあげないといけない。

 

人のために何かしなさい

 

は自分のためが当たり前の人に言う言葉で、人のためばかりになって壊れそうなとこに言われたら『死ね』に近いんだよね。

でも冷静に何が本当に自分のためなのか、人のためなのか分からないとどちらへ転んでも幸せになれない気がする。

 

 手を差し伸べることで逆にダメにしてしまう人も残念ながらいる。ミイラ取りがミイラになってはいけない。

わたしにだって成さねばならないことがある。

 

そう『決める』ところから物語は始まって行くからまた気持ちを新たに進んで行きたい。

 

ご一緒してくれたお二人。いつもありがとう。嬉しいです。

 


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レモンバーベナハーブティーを頼んだら『じゅんこさん❗インスタ映えですよ❗撮らないと✨』と言われたので撮った。さっそく他人軸! 


 

微笑合掌