諦めた
人にエロいエロい言われ過ぎるのがなんか嫌だなと思う
という趣旨の投稿をした。
その数日後、何の気なしに家の鏡を配置換えしたことを忘れていてふと、リビングでくつろぐわたしと目があった。
・・・エロい。
なんだこれ。
みんなが見てるわたしってこんななの?
普段「鏡を見るぞ」「写真を撮るぞ」というわたししか見ることがない。仲間で出掛けるとかもないから勝手に写真に写ってしまう事もない。大概の人は他人から見た自分のことを知らないという。
これまでモデルの仕事に活かすため写真慣れしようと自撮りを沢山してきたけど多少は顔作ってたり演出しているし、その時仲良くなった人のリクエストでやっていたのでわたしにとってはどう見えててもあんまり味がしてなかった。
でも、素の顔をみたら綺麗とか色っぽいじゃなくてなんか「エロ」かった。他の表現方法がないんだから仕方ない。。。
(怒っちゃった人ごめんなさい。)
自分で良く分かってなかったから「もうそういうキャラでやればいいのか?怒」と開き直ったり仕方なくそちらに寄せるようなことも正直あった。
でも、たぶんそういうことじゃないね。
地味な色の服をきちんと着てしっかり寝て食べて真面目なことを考えてアンニュイでもウフフでもないフラットな時間だったのに、目に入った瞬間に自分でエロいと思った。なんか、水分というよりは表に出ない『湿度』を感じる人だった。自分が何にエロさを感じているのか分からないからモヤっとする。意味が分からない。なんでだろう、なんでだろう、と考えれば考えるほどに『反復による呪い』がかけられてビジュアルが脳裏に張り付いて、もう出られない。
そういえば高校生の時、普通に電車のドアにもたれてたら
「え❓何、どうした⁉
今、一瞬桜井幸子(ピュアでアンニュイな女優さん)みたいになってたよ❗」
とか
「服も普通だしなんにもやらしいことないのにそういう気分にさせられる事がある」(←今思うとすごい発言だな)
とか
言われたことがあったね。認めるのに抵抗あるけどやっと分かった。こんな人が下着の写真載せてたらそりゃー叱られるわね。申し訳ない。
ただ、一方でそれがどんな意味を持つかは関係なくシェアしたいわたしもいるからたちが悪い。
どこかわたしの中でわたしは
外身=物
中身=人
なので、わたしにとってかっこよいポーズや綺麗なショットはインスタ映えするオシャレご飯とあんまり価値が変わらない。と、いうかそう思わないと生きてこれなかった(と思ってる)。
出たくないけど外に出ないと生活できない
→出たら人目に触れる
→学校や職場で人と関わる
→嫌われたり好かれたり蔑まれたり取り合われたりする
→わたし一人だけで完全に所有できない
→共有物
になってしまった。
出せ、貸せ、隠せ、所有させろ、じゃなくてわたしの好きにできないんならみんなで勝手に仲良く楽しんだらいいじゃん、と少し投げやりになってた。一番それが楽だし平和だと思って。
でもそれって自分がないね。
中身も外身も人でいいのにコミュニケーションができないから戦わないで逃げちゃった。
エッチな話も好きだし、自分の体も好きだよ。でもいくら喜ぶ人がいたって別に提供する義務はないし嫌なものは嫌って言っていいんだよね。今回は「エロいエロい言われるのが嫌」って自分から言ったから答えが見えたのかも知れないね。
もう、エロいのはしょうがないからどうにかするのは諦めて尖らずふんわり生きて行こうと思う。そこだけがわたしの価値じゃないし、狙ってないなら同時に希有な価値のはず。何をしても評価から逃げられないんだから繕うだけ無駄だ。