じゅんこイズム ~詩とか怪文書~

私の隙間に住み着いたあれやこれやを綴ります。好いてくれたらうれしいですが嫌ってくれても良いのです。

それって金になるの?

楽しさ、という飴はお金にしようと思った途端に味が変わってしまう。そんなふうに思ったこと無いですか。


趣味を仕事に!とかやりたいことで稼ぐ!とか魅力的だけれど、どうもみんながみんな上手くいくわけじゃないようです。あれ、何なんでしょうね。やれば儲かると分かっている時でさえ何だかトーンダウンしてしまう、あれ。


わたしは「からだ」に必要なものと「こころ」に必要なものは全く違うからかも知れないな、と感じています。



衣食住は別として、現代社会でお金は生命の維持に関わるのでお金になるものは「からだ」のためのものなんだと思うのです。掃除、料理、家庭菜園、演奏などなど本人は楽しんでいるけれど立派に収入を生んでいるものは「からだ」のためのもの。賞金やギャラの出ないスポーツ、芸術、遊び、手芸、お笑いなどは「こころ」のためのもの。お金になった(ならなくなった)時点で効力が無くなってしまうんじゃないですかね。


「こころ」のためになるものは自分以外の人にとってはあんまり意味のないもので、そんなことやってなんになるの?というものほど良いと何かで読みました。



わたしは普段服や小物の繕い物を良くやるので常々平気で裁縫できないと言う人を見ると九九ができない人くらいしょうもないなぁと思っていました。けれどそういうわたしは正直九九あやしいです笑。どちらもできるに越したことはないけれど普段「そんなもんだろう」「当たり前だろう」と思うことを冷静になって見ると人によって意味や重要度が全然違いますよね(絶対に九九のが大事笑)。人から見てではなく自分にとってどうなのか、という視点も大切に思います。わたしにとっての当たり前も誰かにとってはリフレッシュになりえるのです。



生きる意味がわからなくなってしまう時、人生にいわゆる無駄がなさすぎなのかも知れませんね。

もし、あなたが危ないなと思ったら20分くらいかけてひたすらノートに○(マル)でも書き続けるといいと思います。なんだこれ?と思えたら多分スッキリするんです。なんとなくスマホで暇つぶしをするより意識して取り組む分「さあ、今俺は自分の人生を見事に無駄にしてやったぞ!」という自信になるはずです。こういう積み重ねが【自己決定感】になります。くだらないようだけどなんとなく自信が持てない時って仕事や時間に振り回されて自分で自分の行動を決められてないのです。それを取り戻すのです。


そういうちょっとした無駄が日常にないといつか人生自体を無駄に感じてしまうのでしょう。義務や成果ばっかり求めているとなんとなく夜眠れなかったり集中できなくて結果的に無駄な時間を過ごしてしまいます。これのも自動的にわたしたちの「こころ」が無駄を求めている仕業かも知れませんね。無駄は偉大なガス抜きってわけです。



そう、例えば誰にも見せない日におしゃれな下着を着るのも楽しいです。比べて安物の服なんかだとおかしくてなおいいです。写真を一枚も撮らないと決めて一人キャンプ。で、せっかく火を起こした横でコンビニのご飯を食べちゃうとか考えただけでワクワクしませんか。



バカみたいだけど、何か目的や意味のあることで満たされた先にあるのはいつだって新たな渇きじゃないですか。なんかそういうのはもう疲れちゃったし、あんまり要らないのかなと。



服、靴、鞄、家、持ってるものの値段だけがつり上がって行くことが「格」ではないのに何となくそう思ってしまいませんか。スーパーカーでグッチに乗り付ける人とも喋ってみたいし近所の公園で野点(アウトドア茶道)してる人がいたらそっちとも喋ってみたい。でもそのことを誰にも話しちゃいけないのならどっちが楽しそうですかね。ふとした時に、自慢になるか映えるかといった他者目線が混ざってくるんです。無自覚に今していることの目的を探してしまう。



わたしたちは、より多くの富を持ちそれを分配できる人を立派な人だと思わされてきたけれどなにもお金だけがわたしたちに必要な富じゃないのですよね。真っ当な無駄を他者へ提供できる人って素晴らしいんじゃないですか。そういう「格」があってもいい。



そういえば志村けんさんもお笑いというある意味「無駄」なものを徹底したからこそ愛されたし偉大でしたよね。彼は先輩であるいかりや長介さんが亡くなった事をきっかけにいろんな番組に出るようになりましたがそれまではあえてバラエティ番組もお芝居も避けていたそうです。能力や学のあるタレントは面白いけれどコメディアンが同じことをしてしまったら視聴者にもう二度と「あいつはバカだなあ」とは笑って貰えなくなる、という持論のためだったそうです。

ビジネス→副業→スキルアップなど常に「結果」を求めるような風潮があるけれど、これからのわたしたちに求められるのはむしろ彼のようなバランス感覚のように思ったりします。

(彼は仕事になっていますが)何かって言うと「お金になるの?」って言われがちだからつい、自分もいけないことのように思うけれどお金にならない、しない、理解されないことを真剣にやるのって実はとっても裕福なんですよね。