じゅんこイズム ~詩とか怪文書~

私の隙間に住み着いたあれやこれやを綴ります。好いてくれたらうれしいですが嫌ってくれても良いのです。

全然更新していないブログをいまだに見てるやつ誰だありがとうございます。

いつまでも憎い『あの人』や何年も立ち直れない『あの事』というのはある意味【よりどころ】なんだ。

弱い断れない辞められない逃げられないダラしない自分をちゃんと被害者にして守ってくれている。

じゃあ強くなればいいのかというと、そうでもない。

強くなればなっただけ困ることや憎むことは確実に減る。でも結局感情に蓋をしていつか飽和する。頑張り続けることに疲れてしまうこともあれば、強いと評価されるばかりに同居し得ないAとBを同時に要求されてバグることもある。

【よりどころ】というのは鎧であり安全地帯でそうせざるを得なかった事情がある。何でもかんでも攻撃してくる他者が正しいのかというと実際そうでもない。よりどころが守ってくれるからこそ生きていられる。

だから必ずしも自分を変えることが正義とは言い切れない。よりどころではないもので自分を守るためにはしなやかな知恵があればいい。
   
事象は変わらなくても受け取り方は変えられる。もっと少ないエネルギーで息ができるように。エネルギーが貯まればこそスマートに断ることも逃げることもできる。

『わたしそういうのしんどいんだ。』

とはっきり淀みなく、力まずに言えること、どんなに言うのが怖くてもそんなことぐらいじゃ壊れない関係「以外」はたぶん人生に要らない。

人類犬化計画

自分とか人生とかって、もっとどうでもいいことなのかも知れないね。


わたしは兎に角重い。なんでも真に受けるし永遠に考えるし真剣に取り組みすぎる。

それが良さだと思えている時は良いのだけど傍から見たらめんどくせぇだろうなあ、と一瞬でも思ってしまったらもう暫く立ち直れない。

自分がどうありたいか、が他者評価に繋がるとは限らない。自分の中の正義や主義、譲れない何かやそれらを守るための感情が目の前の誰かを責めてしまうことがある。

より良い人間でいたいのにそれを理解されない。そんなことはどうでもいいから機嫌よくしててくれよ、と思う人の方が多いのだ。わたしを好いてくれればくれるほど。

才能も人格も本当は接する人や時間や時代でくるくる変わる。いつでもどこでも発揮できるものなんて元来、人は持ち合わせていない。

けれどもそれを「いいや自分はこうだから」と決めて膝を笑震わせながらも仁王立ちしている一部の強靭な人を見てはああなれない自分に劣等感や罪悪感を覚えてしまう。

ただそこにいればいい、と言ってくれる人は中々いない。思っていないか思っていても言わない。けれど遍く全ての人がそう言われたがっている。言える人になりたいけれどなったらなったで受け取らない人に傷付けられたり実は自分が貰うために差し出しているだけだったりして次第に嘘になる。本当の承認と言うものは各々が自らの権利を勇気を持って信じる以外に得る方法が無い。

素敵なあの人の言う「私だったらこうする」を懸命に真似ても結果、素敵なあの人にはなれない。わたしは架空の「塩梅のいいわたし」にとって丁度いい「こうする」を模索し続けるしかない。
おんなじ行動でも博愛からしているのか時間の無駄だからしているのか他者目線でしているのかで意味が違う。意味が違うということは得るものが違うということだ。自分は何を得たいのかというよりも根本的に何を求めているのかを真っ直ぐに知る必要がある。思いの外、善人ほど嘘や建前を剥ぎ取る覚悟が中々できない。

だから

一つ一つ拘ったところで眉間のシワが増えるだけなんだ。今美味しい、今楽しいを信じて自分の頭の悪さを賛美するくらいが丁度いい。一周回っても二周回っても落ち着かなかった。3周回った今やっと「ワン!」と言えるような気がしている。

少しだけ祈る

人身事故

で電車が止まった。上下線共に動かないから迂回して帰ったけど時間もお金も余計にかかった。

こないだも一部区間で運転休止してしまって、約束があったから慌てて迂回した。

なんだよ迷惑だな、ふざけんなよ


いや、

違うの。言い方が違うから勘違いしちゃうの。

あれ、自殺だよ?
そうだよね?

自殺だよ?

人が死んじゃうんだよ?


平気になりすぎてる。それがとても怖い。

どうして!なんで!やるせない!
そんな風に思えない時点でおかしい。

慣れてしまわないように、なんにもできなくても慣れてしまわないように、

少しだけ祈る。

みんなが迂回でかかるお金を集めて必要な人にあげられたらいいのにね。悲しいね。

人のためなんかやめろ

自分の今している事がこの先の何に繋がっているのかよく分からない時が嫌だ。

望んでいない何かに繋がっているのも嫌だ。

その望んでいない何かをさも望んでいるように振る舞うのも嫌だ。



だから



自分の今していることが何に繋がっているかよく分かっていて

その何かは自分の望んでいるもので

誰からも期待されていない、強制されていない、監視されていない時が


頑張れる時なのかも知れない。


その時に笑顔にできる人がいるならいいね。

妄想意訳シリーズ  米津玄師氏 「馬と鹿」 歌詞解説

妄想意訳シリーズは既存の楽曲を前情報なしに妄想して味わおうというシリーズです。変なこと書いてあったら怒っちゃうようなファンの人は読まないでください。でもリスペクトしてない作品は書けません。すごく好きな曲を好き過ぎるばっかりに書いてます。

 

原曲聴いたら帰ってきてね(コメ欄に歌詞あげてる人がいるから読みながら聞くといいかも)。

 これ

https://youtu.be/ptnYBctoexk


間違って貼ったらしくて消せない(ごめんなさい)

 

 

歌詞:

 

歪んで 傷だらけの春        

麻酔も打たずに歩いた

体の奥底で響く 生き足りないと強く

まだ味わうさ 噛み終えたガムの味

冷めきれないままの心で

一つ一つ失くした果てに ようやく残ったもの

 

これが愛じゃなければ何と呼ぶのか?

僕は知らなかった

呼べよ花の名前をただ一つだけ 張り裂けるくらいに

鼻先が触れる呼吸が止まる

痛みは消えないままでいい

 

疲れたその目で何を言う?

傷跡隠して歩いた 

そのくせ影をばら撒いた

気づいてほしかった

 

まだ歩けるか?

噛み締めた砂の味 夜露で濡れた芝生の上

逸(はや)る胸に尋ねる言葉

終わるにはまだ早いだろ

 

誰も悲しまぬように 微笑むことが上手くできなかった

一つただ一つで良い

守れるだけで、 それでよかったのに

あまりにくだらない願いが消えない

誰にも奪えない魂

 

何に例えよう? 君と僕を

踵に残る似た傷を

晴れ間を結えばまだ続く

行こう 花も咲かないうちに

 

これが愛じゃなければ何と呼ぶのか?

僕は知らなかった

呼べよ 恐れるままに

花の名前を君じゃなきゃダメだと

鼻先が触れる呼吸が止まる

痛みは消えないままでいい

あまりにくだらない願いが

消えない 止まない

  

 

ラグビーを題材にした人気ドラマ「ノーサイド・ゲーム」の主題歌で、主人公のイメージとマッチしているそうなのだけど観てないのです。あくまで歌とPVの印象だけで喋るよ。

 

「春になんか嫌なことがあったのかな?麻酔ってどっかケガしたのかな?

花の名前とか良くわかんないけどなんか切なくて、でも負けないぞみたいな感じがしてかっこよいよね。」

 

 からの

----------ここから妄想----------

 

PV、ダンサーが生きてる感じしない。死へのいざない。地下っぽいとこで(三途?)孤独と向き合ったのち米津氏飛び降りて後半の舞台は地獄みたい。それぞれは独立しているのに一緒になると意味が変わってしまう二人を例えて言うならば・・・?

 

 

歪んで 傷だらけの春

← 飛び降りた


麻酔も打たずに歩いた

← 肉体と離れてる


体の奥底で響く 生き足りないと強く

← 痛みが生きたいといわんばかりに響く


まだ味わうさ 噛み終えたガムの味

← もう終わってるけど感じていたい


冷めきれないままの心で

← 後ろ髪をひかれながら


一つ一つ失くした果てに ようやく残ったもの

← もうこの気持ち意外何も残ってない(もう失うものは何も無かった)

 

これが愛じゃなければ何と呼ぶのか?

← これ=命を絶つこと


僕は知らなかった

← (もうやってるから過去形)


呼べよ花の名前をただ一つだけ 張り裂けるくらいに

← 花=自分 だけを必要として欲しい


鼻先が触れる呼吸が止まる

← 悼む「君」が肉体(鼻先)に触れているのを感じて息絶える


痛みは消えないままでいい

← 覚えていたいからor贖罪のために

 


※これ以降は回想と思われる。

 

疲れたその目で何を言う?

← 虚ろで口数も少ない(自分)


傷跡隠して歩いた 

← 傷跡=リスカor心の傷


そのくせ影をばら撒いた

← 言わないけど匂わせてはいた


気づいてほしかった

← 誰かに助けて欲しくて(過去形)



まだ歩けるか?

← もう動けないかも


噛み締めた砂の味 夜露で濡れた芝生の上 

← 落ちて倒れている


逸(はや)る胸に尋ねる言葉      ← もう逝っちゃおうかな


終わるにはまだ早いだろ

← 本当にいいの?と自問or「君」の言葉を聴いてからじゃないと行けない

(諦めるな的な意味だと「尋ねる」は矛盾する)

 

誰も悲しまぬように 微笑むことが上手くできなかった

←死なずに済むようにできなかった


一つただ一つで良い

←ただ一つ=「君」のこと 


守れるだけで、 それでよかったのに    ← 「君」が死なないようにできれば


あまりにくだらない願いが消えない    ←先立つことで「君」の特別になりたい


誰にも奪えない魂

← 自分の命は自分のために使う(人に奪われてたまるか)

 

何に例えよう? 君と僕を        ← それぞれ美しいのに「馬」と「鹿」一緒にするとただの馬鹿(滑稽)になってしまう

  

踵に残る似た傷を           ← 似たような(しんどい)道を歩んできた


晴れ間を結えばまだ続く

← 良い日の記憶を繋いでいたら「君」の人生は続けられるよ


行こう 花も咲かないうちに      ← 「僕」は夜が明ける前にあの世へ旅立つ 

 

 

 

これが愛じゃなければ何と呼ぶのか?

僕は知らなかった


呼べよ 恐れるままに         ← 何に恐れる?=死別or「僕」のクレイジー


花の名前を 君じゃなきゃダメだと

←「僕」がいないとだめだと(君に)言って欲しい


鼻先が触れる呼吸が止まる


痛みは消えないままでいい       ← 体が痛くってもいいから


あまりにくだらない願いが 

← 願い=命と引き換えに「君」に愛されたい(愛されていたと知りたい)


消えない 止まない

← なお残るこの気持ちだけが僕の生きた意味

 

 

下線部は違う解釈もできる。リンチされたとこかも知れないし(朝練なら朝露だし夜露だから穏やかじゃない)。あの世に行こうと焦ってるけどもうちょい暇乞いしようとか、あと「一緒に晴れ間を繋いで生きて行こう」なのかも知れない。希望を持って解釈することもできるんだけどPVは決してそうじゃない。ラストの鬼気迫る米津氏のあまりにくだらない願いは「君も後を追って欲しい」かも知れない。

 

死亡ベースで読むと「自殺の理由を《好きな人のため》にすり替えちゃったメンヘラ男子」味が出てきちゃうけど悩んだことのある人にはかなり美しく響くと思うのです(当方もその口)。

 

 

あくまで通りすがりのにわかの個人的な妄想なので米津氏のインタビューとかプロ解説とか一切読んでないので「ほんとはこうらしいよ」みたいのはなしでオナシャス。



ああ、米津さん素敵だなあ。

ゲイを飼う

Twitterで人気の『きょうのゲイバー』という投稿がとても痛快で好き。

 

ゲイのママさん(ややこしいな)が客に辛口のアドバイスをするというイラストのシリーズ。

 

毎日かあさんの作者、西原理恵子さんが他の著作の中で、ゲイになったつもりで物事を見るという手法を冗談たっぷりに語っていて、ちょっとそれと近く感じた。

 

元気が負けそうな時、どんな慰めも効かない時、ゲイのママさんだったら何て言うのかな?って思うと元気がでるの。頭の中にあっけらかんとして女も男もよく知ってるバーチャルゲイを飼い慣らす。

 


今日は

『19、20才じゃあるまいしメソメソしても気持ち悪いのよ!誰も助けに来ないわよ?立派に自分の足で立てるのに助けてもらおうなんて。その内本当に足腰立たなくなるんだから。』

 


って言われて、元気でた。

無邪気に嫌なことされたり言われたとき、

 

どんな顔したらいいの?

何て言ったらいいの?

 

 

例え薄い関係性でもつまらないことで場をしぼませたくないし、なるたけ許したいし、好きでいたいし、できるならそんな有り体も愛してあげたい。

 

でもそこから説明することはしない。勝手に我慢したのはわたしだし、『それでも流石にこれは嫌』っていうのも悪気の無い相手にとったら理解できっこない。

 

わたしがそれでも言葉にするときは人格が崩壊するくらい不快な時で、それはその時点でかなり蓄積されていて。もう1mmも我慢できないくらいあなたは下品で失礼なことをしていますよ、正直二度と会いたくないです、という意味と同意です。

 

じゅんこは味方だと思ったのに!

 

じゅんこがいきなりキレた!

 

意味が分からない!

 

じゅんこがなに考えてるか分からない!

   

 

 

そんなことが遥か昔にあった事を思い出しました。

 

じゅんこは我慢しすぎだ

思ったことをそのまま言うことを絶対しない

どんな悩みも自分の中で答えを見つけてからしか言わない

もっと出さなきゃだめだじゅんこに頼ってばっかりじゃなくてわたしもじゅんこみたいに頼られたい

信用されてない信じてほしい

 

・・・いやいや、なんでその矛先が自分にだけは向かないって確信してるんだろう。

 

信じろ信じろうるさいから話をしたら案の定くちほどにもなく何一つ受け取れない。

だから距離が必要なのになんでズカズカ入ってくるんだろう。あなたがわたしを理解できてないことを理解して欲しかったなあ、あの時。

 

 

高貴な人は嫌な時でも嫌な顔をしない。それはニルアドミナリといって身嗜みと礼儀だから。そしてそれは度重なる訓練を経て身につけるもの。

 

そんなことも知らないのが当たり前の世の中なんです。

 

わたしは顔に出さない訓練を散々したにもかかわらず、あとになってわざと顔に出す訓練をしました。活動する地域や経済圏をわたしが間違えたせいか、理解してくれる人間とあまり出会えなかったから。

 

だからいつもは何かあるとわざと嫌な顔を作って。それをせねばならないことに今でもドキドキします。

 

その時の顔はブスです。嫌な思いをさせられた上にブスな顔も見せねばならないことは何重にも苦痛です。

 

ダメな人とは縁を切れば良いというけど、うまくできなくてブロックした人はいるけど、ちっともスッキリしない。うまくいかない時は少し時間を貰うようにしている。