じゅんこイズム ~詩とか怪文書~

私の隙間に住み着いたあれやこれやを綴ります。好いてくれたらうれしいですが嫌ってくれても良いのです。

妄想意訳シリーズ  米津玄師氏 「馬と鹿」 歌詞解説

妄想意訳シリーズは既存の楽曲を前情報なしに妄想して味わおうというシリーズです。変なこと書いてあったら怒っちゃうようなファンの人は読まないでください。でもリスペクトしてない作品は書けません。すごく好きな曲を好き過ぎるばっかりに書いてます。

 

原曲聴いたら帰ってきてね(コメ欄に歌詞あげてる人がいるから読みながら聞くといいかも)。

 

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歌詞:

 

歪んで 傷だらけの春        

麻酔も打たずに歩いた

体の奥底で響く 生き足りないと強く

まだ味わうさ 噛み終えたガムの味

冷めきれないままの心で

一つ一つ失くした果てに ようやく残ったもの

 

これが愛じゃなければ何と呼ぶのか?

僕は知らなかった

呼べよ花の名前をただ一つだけ 張り裂けるくらいに

鼻先が触れる呼吸が止まる

痛みは消えないままでいい

 

疲れたその目で何を言う?

傷跡隠して歩いた 

そのくせ影をばら撒いた

気づいてほしかった

 

まだ歩けるか?

噛み締めた砂の味 夜露で濡れた芝生の上

逸(はや)る胸に尋ねる言葉

終わるにはまだ早いだろ

 

誰も悲しまぬように 微笑むことが上手くできなかった

一つただ一つで良い

守れるだけで、 それでよかったのに

あまりにくだらない願いが消えない

誰にも奪えない魂

 

何に例えよう? 君と僕を

踵に残る似た傷を

晴れ間を結えばまだ続く

行こう 花も咲かないうちに

 

これが愛じゃなければ何と呼ぶのか?

僕は知らなかった

呼べよ 恐れるままに

花の名前を君じゃなきゃダメだと

鼻先が触れる呼吸が止まる

痛みは消えないままでいい

あまりにくだらない願いが

消えない 止まない

  

 

ラグビーを題材にした人気ドラマ「ノーサイド・ゲーム」の主題歌で、主人公のイメージとマッチしているそうなのだけど観てないのです。あくまで歌とPVの印象だけで喋るよ。

 

「春になんか嫌なことがあったのかな?麻酔ってどっかケガしたのかな?

花の名前とか良くわかんないけどなんか切なくて、でも負けないぞみたいな感じがしてかっこよいよね。」

 

 からの

----------ここから妄想----------

 

PV、ダンサーが生きてる感じしない。死へのいざない。地下っぽいとこで(三途?)孤独と向き合ったのち米津氏飛び降りて後半の舞台は地獄みたい。それぞれは独立しているのに一緒になると意味が変わってしまう二人を例えて言うならば・・・?

 

 

歪んで 傷だらけの春      ← 飛び降りた

麻酔も打たずに歩いた      ← 肉体と離れてる

体の奥底で響く 生き足りないと強く ← 痛みが生きたいといわんばかりに響く

まだ味わうさ 噛み終えたガムの味  ← もう終わってるけど感じていたい

冷めきれないままの心で      ← 後ろ髪をひかれながら

一つ一つ失くした果てに ようやく残ったもの ← もうこの気持ち意外何も残ってない   

                        (もう失うものは何も無かった)

 

これが愛じゃなければ何と呼ぶのか? ← これ=命を絶つこと

僕は知らなかった          ← (もうやってるから過去形)

呼べよ花の名前をただ一つだけ 張り裂けるくらいに ← 花=自分 だけを

鼻先が触れる呼吸が止まる      

          ← 悼む「君」が肉体(鼻先)に触れているのを感じて息絶える

痛みは消えないままでいい      ← 覚えていたいからor贖罪のために

 

※ここからは回想と思われる。

 

疲れたその目で何を言う?     ← 虚ろで口数も少ない(自分)

傷跡隠して歩いた         ← 傷跡=リスカor心の傷

そのくせ影をばら撒いた      ← 言わないけど匂わせてはいた

気づいてほしかった        ← 誰かに助けて欲しくて(過去形)

まだ歩けるか?          ← もう動けない

噛み締めた砂の味 夜露で濡れた芝生の上 ← 落ちて倒れている

逸(はや)る胸に尋ねる言葉      ← もう逝っちゃおうかな

終わるにはまだ早いだろ

    ← 本当にいいの?と自問or「君」の言葉を聴いてからじゃないと行けない

                (諦めるな的な意味だと「尋ねる」は矛盾する)

 

誰も悲しまぬように 微笑むことが上手くできなかった

                     ←死なずに済むようにできなかった

一つただ一つで良い            ←ただ一つ=「君」のこと 

守れるだけで、 それでよかったのに    ← 「君」が死なないようにできれば

あまりにくだらない願いが消えない    ←先立つことで「君」の特別になりたい

誰にも奪えない魂    ← 自分の命は自分のために使う(人に奪われてたまるか)

 

何に例えよう? 君と僕を        ← 「馬」と「鹿」一緒にいてはいけない  

踵に残る似た傷を           ← 似たような(しんどい)道を歩んできた

晴れ間を結えばまだ続く ← 良い日の記憶を繋いでいたら「君」の人生は続けられる

行こう 花も咲かないうちに      ← 「僕」は夜が明ける前にあの世へ旅立つ 

 

 

 

これが愛じゃなければ何と呼ぶのか?

僕は知らなかった

呼べよ 恐れるままに         ← 恐れる=死別or「僕」のクレイジーさに

花の名前を 君じゃなきゃダメだと←「僕」がいないとだめだと(君に)言って欲しい

鼻先が触れる呼吸が止まる

痛みは消えないままでいい       ← 体が痛くってもいいから

あまりにくだらない願いが  

        ← 命と引き換えに「君」に愛されたい(愛されていたと知りたい)

消えない 止まない ← なお残るこの気持ちだけが僕の全て(生きた意味)

 

 

下線部は違う解釈もできる。リンチされたとこかも知れないし(朝練は朝露だし夜露は穏やかじゃない)、あの世に行こうと焦ってるけどもうちょい暇乞いしようとか、あと一緒に晴れ間を繋いで生きて行こうなのかも知れない。希望を持って解釈することもできるんだけどPVはそうじゃない。ラストの鬼気迫る米津氏の「あまりにくだらない願い」は君に後を追って欲しい、かも知れない。

 

死亡ベースで読むと「自殺の理由を好きな人のためにすり替えちゃったメンヘラ男子」味が出てきちゃうけど悩んだことのある人にはかなり美しく響くと思うのです(当方もその口)。

 

 

あくまで通りすがりのにわかの個人的な妄想なので米津氏のインタビューとかプロ解説とか(あっても)一切読んでないから「ほんとはこうらしいよ」みたいのはなしでオナシャス。

ぶっころしてやる、この世の全て。

可愛く生まれた。そのせいで姉に疎まれ祖母に蔑まれ学校ではいじめられまだあどけないうちに盗撮とストーカーに合った。初めて見た勃○は露出狂のそれだし預かり知らぬ所で親衛隊が発足された。一言も喋らぬ内から可愛いだけのつまらない人というレッテルを貼られ何かミスを犯せば見かけ倒しと罵られた。信頼している男性から口説かれ仲良くなった女性からは勝手に化粧や趣味や服を真似された。
 
 
 
全部わたしが悪いんだ。
 
 
 
一生懸命努力した。でも全ては上手くできなかった。全てを犠牲にして愛した人からはいとも簡単に捨てられた。捨てられた後も体を求められた。
 
 
自分が何者か分からなくて
自信など何もなくて
ただひたすらに不安で
自分が「選ぶ」とか「断る」とかの意味が良く分からなかった20代。
 
バカでクズで嘘つきで自分を嫌えば嫌うほど絶望的にモテた。
 
 
だから仕事以外はほとんど引きこもった。
 
 
入社してすぐに上司に関係を迫られた。流石に断った。半年間毎日頭を下げてお願いされた。毎日断った。全く怯まない相手に消耗してもう終わりにしたくて、応じた。
 
前にも増して生きていることになんも味がしなくなった。
 
 
 
死にたくても死ねなくて生きてる意味も分からなくて上がっては下がるこのループを何度繰り返したら良いのだろう、わたしの周りが勝手なのだからわたしも勝手にしたらいいんだ、とやけくそで複数と関係した。自分とも他人とももう向き合ってやらないと決めた。
 
 
 
仕事が起動に乗り、憧れの独り暮らしができそうだと思った矢先、
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
妊娠した。
 
24になる誕生日の前日。
 
 
迷いはなかった。
結婚はもちろん生む気も育てる気もない。女の体に生まれたからには全ての機能を有効に使うのが神に対するリスペクトだとは思う。妊娠出産は経験してみたい。でもそれは
 
 
 
 
 
今じゃない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
堕ろす気で病院に行くと頼んでないのにエコーを見せられた。
 
 
「ここの丸いところにいます。もし処置するなら次回しますがパートナーとも良く話し合って、絶対に無理というわけでないなら産んであげてください」
 
 
的なことを医師と看護師から何度も何度も言われ、閉口して帰宅した。
 
 
 
決めかねているうちに体に不調が出始めた。
不安でたまらなくて女性の先輩に妊娠の事実を打ち明けた。「大切なことだから上に報告してもいい?」と優しく言われた。勤務を優遇してくれるかも知れないと思い承諾した。
 
 
もし仕事をあと半年間続けることができたら一人で産んで育てることも出来そうだ。
 
 
 
 
 
ほどなくして
 
 
 
「来月末で退社するように」
 
 
と言われた。
 
 
 
 
 
 
詰んだ。
 
 
 
 
実家に頼ったら姉に何を言われるか分からない。風呂のない一間のボロアパートでお腹を抱えて餓死する自分が見えた。
 
 
 
・・・・・
 
 
 
 
 
・・・・・
 
 
 
 
 
そ・れ・は・絶対に・い・や・!!!
 
 
 
 
 
もうこれ以上わたしの人生を明け渡してたまるか、と思った。思ったら悲しくて頭に来て、何かが奥の方から湧きだしてきた。仕事が無かったら死ぬし妊婦が就活なんかできるわけない。でも堕ろしたところでこんな会社にいてやるもんか!
堕ろすのが怖いんじゃ!産むのも怖いんじゃあ!チキショー産んだらぁぁぁぁ!!ついでに結婚したらぁぁ!!
 
 
そこから怒濤のソロバンはじきが始まった。
指環いらない。披露宴いらない。ドレスいらない。アパートで十分。無事に生まれるとは限らないし生まれる子が健康とは限らない、なら何ができる?どんな準備ができる?幾らかかる?何がいる?
 
 
 
・・・・・生まれたのはわたしだった。
 
 
 
 
 
 
いつでも自分が被害者で、自分の事で精一杯で、なんだかんだ言いながら結局自分から妥協し帳尻合わせをして勝手に傷付いてしまう。全く無自覚に人を傷付け微塵も振り返らない暴走車のようなわたし
 
神様が「そろそろ逃げ場無くしたるわ」と子を宿したに違いない。ぶっころされたのは世界じゃなくて世界を憎んでいたわたし。
 
 
18の頃から側にいた男性と《妥協》といいながら結婚。そっからも話はまだまだ長いんだけども、待った無しの状況ほど人を前に押し出す事は無いんだな、と知った出来事。
 
そんな我が子も実はこの春高専生。わたしの世界を変えた人。今度は工学を通じてみんなの世界を変えておくれ。

ゲイを飼う

Twitterで人気の『きょうのゲイバー』という投稿がとても痛快で好き。

 

ゲイのママさん(ややこしいな)が客に辛口のアドバイスをするというイラストのシリーズ。

 

毎日かあさんの作者、西原理恵子さんが他の著作の中で、ゲイになったつもりで物事を見るという手法を冗談たっぷりに語っていて、ちょっとそれと近く感じた。

 

元気が負けそうな時、どんな慰めも効かない時、ゲイのママさんだったら何て言うのかな?って思うと元気がでるの。頭の中にあっけらかんとして女も男もよく知ってるバーチャルゲイを飼い慣らす。

 

『19、20才じゃあるまいしメソメソしても気持ち悪いのよ!誰も助けに来ないわよ?立派に自分の足で立てるのに助けてもらおうなんて。その内本当に足腰立たなくなるんだから。』

 

って言われたら元気でた。

無邪気に嫌なことされたり言われたとき、

 

どんな顔したらいいの?

何て言ったらいいの?

 

 

例え薄い関係性でもつまらないことで場をしぼませたくないし、なるたけ許したいし、好きでいたいし、できるならそんな有り体も愛してあげたい。

 

でもそこから説明することはしない。勝手に我慢したのはわたしだし、『それでも流石にこれは嫌』っていうのも悪気の無い相手にとったら理解できっこない。

 

わたしがそれでも言葉にするときは人格が崩壊するくらい不快な時で、それはその時点でかなり蓄積されています。もう1mmも我慢できないくらいあなたは下品で失礼なことをしていますよ、正直二度と会いたくないです、という意味と同意です。

 

じゅんこは味方だと思ったのに!

 

じゅんこがいきなりキレた!

 

意味が分からない!

 

じゅんこがなに考えてるか分からない!

   

 

 

そんなことが遥か昔にあった事を思い出しました。

 

じゅんこは我慢しすぎだ

思ったことをそのまま言うことを絶対しない

どんな悩みも自分の中で答えを見つけてからしか言わない

もっと出さなきゃだめだじゅんこに頼ってばっかりじゃなくてわたしもじゅんこみたいに頼られたい

信用されてない信じてほしい

 

・・・いやいや、なんでその矛先が自分にだけは向かないって確信してるんだろう。

 

信じろ信じろうるさいから話をしたら案の定くちほどにもなく何一つ受け取れない。

だから距離が必要なのになんでズカズカ入ってくるんだろう。あなたがわたしを理解できてないことを理解して欲しかったなあ、あの時。

 

 

高貴な人は嫌な時も嫌な顔をしません。それはニルアドミナリといって身嗜みと礼儀だからです。そしてそれは度重なる訓練を経て身につけるものです。

 

そんなことも知らないのが当たり前の世の中なんです。

 

わたしは顔に出さない訓練を散々したにもかかわらず、わざと顔に出す訓練をしました。活動する地域と存在する経済圏をわたしが間違えたせいか、理解してくれる人間とあまり出会えなかったからです。

 

だからいつもは何かあるとわざと嫌な顔を作っています。それをせねばならないことに今でもドキドキします。

 

でもその時の顔はたぶんブスです。嫌な思いをさせられた上にブスな顔も見せねばならないことはわたしにとって何重にも苦痛です。

 

ダメな人とはとっとと縁を切れば良い?うまくできなくてブロックした人はいるけど、ちっともスッキリしない。今はうまくいかない時は少し時間を貰うようにしています。

理解してもらえてると思ってたけどバカにされてただけだった。相手の弱さが分かっていたから気を使ってでもお金を使ってでも大事にしたいと思ってしまった。体を壊したことより心を壊したことより一番大切にしたい人や物を悪し様に言われて生きる意味を見失ってしまったことが悲しくて悔しい。

もう二度と信頼できない人間に心を開いたりしない。

 

 

ファイナンシャルプランナーにパートナーシップを指摘されて頑張ってきた主人との関係が振り出しに戻ったことを再確認させられた。そのせいでぶり返している。

 

 

最近、脇の下から胸にかけて痛い。咳も続いている。先の自己啓発でお金が底をつき信頼も失い息子の進路もきちんと面倒が見られず悪い病気にでもならないともう家族に大切に扱ってもらえないのではないか、と思っている。

 

カードの引き落としに1万足りなかった。それだけで今日は心の糸が切れてしまった。昼ずっと寝ていた。離婚する夢を見た。

 

 

陽が暮れてからやっと子どものバギーと三輪車を売りに行ったら350円にしかならなくて、まだ綺麗なのにそれでも売ってしまって雨の降る車の中で泣いた。

 

 

頭の中のモヤモヤをノートに書いたら、今まで我慢してきたことが沢山出てきた。わたしの知らない不都合なわたしがいた。我慢することでしか誉めてもらう方法を知らないで来た。それが一番楽だった。幼少の頃からそうやって幸せになることを放棄して来た結果の今だ。

 

 

いつだって扉はあった

味方もいた

お金もあった

時間もあった

 

たぶんそれは今も変わらない

でも『ない』と言ってきた。

いじめられたくない、叱られたくない。

 

 

わたしがニコニコキラキラしてるから目をつけられる。ただ生きてるだけで必ず誰かの気に障る。生きてることを許されたい。

一方で頑張っても頑張っても誉めてもらえない。楽しくない、嬉しくない。頑張りを分かってもらえない。目の前の些細なごみを拾って不幸に不幸になろうとする。

 

 

こんなはずじゃなかった、とは1mmも思っていない。分かっていたのに軌道修正出来なかった。それでまた自分を責めている。それが一番楽だからだ。

 

笑っていたい。誰の許可も取らずに笑っていたい。いつでも幸せを感じていたい。誰の許可も取らずに感じていたい。邪魔してくる人を排除したい。後ろめたさを感じずに排除したい。

 

そんな当たり前のことができない自分を可哀想に思う。でもそれが良いところなんですよ、とわたししか知らない。

なりたかったもの

子どもの時になりたかったものって、諦めてるだけで本当は今もなりたいものですね。

   

 

子どもの頃、ディズニーの眠れぬ森の美女を絵本で見ました。

 

生まれて初めて知ったきらびやかな存在に憧れが止まらなかったのをこの間ふと、思い出しました。

 

幼い日、なぜかわたしの実家はお城ではなく狭い平屋で家族の鼻も低かったのです。でもそんなことは1mmもわたしに関係ありませんでした笑。わたしがおかしいのではなく世界が間違ってしまったのだ、確信していました。

 

『あなたたち(世界)が間違っていることが(神に)正されない訳がない。あなたたちが力及ばないならわたしがなんとしても正さねばならない』

 

と本気で思っていました。

 

その頃、ハウス食品アニメシリーズといって海外の児童文学をTVアニメで放映していて【小公女セーラ】に新たな衝撃を受けました。

 

セーラがわたしの中で特別なのは、元々富も気品も兼ね揃えた少女であったセーラが不運から没落し、これでもかといじめられながら最後には返り咲き、のみならず敵は失脚するという

 

《勧善懲悪サクセスストーリ》

 

だからです。

 

『苦しみながらも美しくあろうとする』姿に感銘したわたしは自分がお城に住んでいない理由をそこに垣間見たわけです(たぶん違うけど笑)。

 

その後も普通の家庭に育ちながら高貴な世界への憧れは尽きることなく、当時やっと美食ブームにより浸透し始めたテーブルマナーや立ち居振舞いなど独学し続け、

 

『家が貧しくても良い殿方と出会いさえすればいい。机に座った勉強が苦手でも人を見る目や礼儀作法、好かれるテクニックがあれば確実に生きていける』

 

という自負がありました。

 

←ここまでが5年生。

 

今思うと中々面白い子供でしたね。

 

そのまま大きくなることができず挫けて忘れてしまったけど、振り返って自分を掘り起こしてみたらこんなに面白い願望が出てきました。

 

これに気付いたら、背骨を曲げずに1食きちんと食べ終える訓練や美しい所作を研究するためいくつもの姿見を備え付けて暮らしたあの頃の生活がとても懐かしく思えて来たのです。

 

義務だと息苦しくて仕方ないけれどお遊びと思うと普段使わない脳を物凄く使うので楽しく壮快なのです。

 

それから食事の作法は食欲(本能)を作法(理性)で処理していくので忍耐力が付きます。これはただの我慢強さではなく

 

言ってはいけない言葉を言わない」

 

「伝え方を選べる」

 

「一歩引いて相手の気持ちを考えられる」

 

という力になります。

 

作法なんて気にしない方も世の中にはいますがどこの国にも貴族の社会には昔からあったものだと思います。目上の方を思いやる他所『様』(よそさま)の国、日本が立場に関わらず大切にして来た美しいスピリットなのではないかしら。

 

不安や忙しさや上手くいかないあんなこんなに負けて、すっかり泥まみれになっていたけれどリプレイしちゃダメなんて法律ないものね。

 

気持ちを新たにサクセスしていきたい✨😃

   

 

あなたのなりたかったものはなあに?