やりたい《こと》の嘘
やりたいことをやる
のゴールはどこなのか
スタートは
憧れ
好奇心
使命感
不安感
劣等感
いろいろあるけど、 やりたかったことがやれたなら本来はその時点でゴール。
でもなんか、
「やりたいことやった《はず》なのに○○じゃない自分(現実)。」
って落ちる⤵⤵ときがあって。
「憧れてバンド組んだけど楽しくはない」
「仕事バリバリしてお金もらったけど思ったほど嬉しくない」
「好きな人とやっと付き合えたけどなんか違う」
「自分の作品を見てもらいたくて展示して誉められたけどなんか嬉しくない」
「憧れのお教室に通ってるけど逆に元気なくなる」
「美味しいもの食べたくて高い店行ったのに帰り不機嫌」
それって、
やりたい(経験)
じゃなくて
ほしい(結果)
だったのかもね。
ほしい《もの》を得るためにやらなきゃいけない《こと》をやってみて、もしそれが外れだったら淡々と違う《こと》を試すしかない。
のに、
「《はず》」(違和感)
がでてくるのはなんでだろう?
①《こと》と《もの》が混ざっちゃってる
ほんとは結果が欲しいのに頭の中で整理、言語化してない。自覚できていない。
例:本当はバンドがやりたいんじゃなくてキャーキャー言われたい、キャーキャー言われるならぶっちゃけバンドじゃなくてもいい。
②《こと》=《もの》になってる。
これさえやれば○○になれる❗と思い込んでいた(信じきっていた)。
例:ドラマで見た金持ちはカッコよいし毎日楽しそうだった。カッコよさや楽しさは金の力じゃない部分も多い、なんて想像つかないからお金稼ぐことだけに力注いでただただ疲弊。
③自分が条件を満たしていない
ほしい《もの》に対してやる《こと》の方向性は合ってる。けど、そこに向ける気持ちや努力の回数が足りない。
例:素敵になるためには魔法なんか無くてそれなりに工夫がいる。カリスマのマインドや見えない所でやっていることを同じレベルでできないと近づけないし、憧れが強すぎてカリスマ自身が日々努力してるって現実に気付けない。
④自分のせい
ほしい《もの》はマインド。気持ちの切り替え次第で手に入る。けど、他人が何とかしてくれるはず、何とかしてくれないから困っていると言う甘えやおごり。
例:嬉しい、楽しい気持ちになりたい(してほしい)から美味しいものを食べる。けど「元気になるぞ!」というより「満足さしてみなさいよ」という態度。そもそも自分で自分のテンション上がるものを分かってない。機嫌悪くなる時点で依存度が高いし店で中々メニュー決まらない時の原因も同じ。
総じて
《はず》
が口をついて出るときは思考が胆略的になっている。
納得できない。せっかちで焦っている。のんびり変わっていきたい《体》を《心》が許せない。
やりたい《こと》がほんとなら余計な結果はいらない。
欲しい何かを無条件に欲しがることに恥じらいがあるから嘘をついてしまう。
キャーキャーいわれたい
カッコよく楽しくなりたい
愛し愛されたい
ダメ出しがされたい
楽して素敵になりたい
それで良いのだけど。良いはずなのだけど、苦労する義務をみんなどこかで刷り込まれて大人になっている。
ほんとうに欲しいもの
まずは口に出して言ってみよう。
わたしは・・・