じゅんこイズム ~詩とか怪文書~

私の隙間に住み着いたあれやこれやを綴ります。好いてくれたらうれしいですが嫌ってくれても良いのです。

無邪気に嫌なことされたり言われたとき、

 

どんな顔したらいいの?

何て言ったらいいの?

 

 

例え薄い関係性でもつまらないことで場をしぼませたくないし、なるたけ許したいし、好きでいたいし、できるならそんな有り体も愛してあげたい。

 

でもそこから説明することはしない。勝手に我慢したのはわたしだし、『それでも流石にこれは嫌』っていうのも悪気の無い相手にとったら理解できっこない。

 

わたしがそれでも言葉にするときは人格が崩壊するくらい不快な時で、それはその時点でかなり蓄積されていて。もう1mmも我慢できないくらいあなたは下品で失礼なことをしていますよ、正直二度と会いたくないです、という意味と同意です。

 

じゅんこは味方だと思ったのに!

 

じゅんこがいきなりキレた!

 

意味が分からない!

 

じゅんこがなに考えてるか分からない!

   

 

 

そんなことが遥か昔にあった事を思い出しました。

 

じゅんこは我慢しすぎだ

思ったことをそのまま言うことを絶対しない

どんな悩みも自分の中で答えを見つけてからしか言わない

もっと出さなきゃだめだじゅんこに頼ってばっかりじゃなくてわたしもじゅんこみたいに頼られたい

信用されてない信じてほしい

 

・・・いやいや、なんでその矛先が自分にだけは向かないって確信してるんだろう。

 

信じろ信じろうるさいから話をしたら案の定くちほどにもなく何一つ受け取れない。

だから距離が必要なのになんでズカズカ入ってくるんだろう。あなたがわたしを理解できてないことを理解して欲しかったなあ、あの時。

 

 

高貴な人は嫌な時でも嫌な顔をしない。それはニルアドミナリといって身嗜みと礼儀だから。そしてそれは度重なる訓練を経て身につけるもの。

 

そんなことも知らないのが当たり前の世の中なんです。

 

わたしは顔に出さない訓練を散々したにもかかわらず、あとになってわざと顔に出す訓練をしました。活動する地域や経済圏をわたしが間違えたせいか、理解してくれる人間とあまり出会えなかったから。

 

だからいつもは何かあるとわざと嫌な顔を作って。それをせねばならないことに今でもドキドキします。

 

その時の顔はブスです。嫌な思いをさせられた上にブスな顔も見せねばならないことは何重にも苦痛です。

 

ダメな人とは縁を切れば良いというけど、うまくできなくてブロックした人はいるけど、ちっともスッキリしない。うまくいかない時は少し時間を貰うようにしている。