じゅんこイズム ~詩とか怪文書~

私の隙間に住み着いたあれやこれやを綴ります。好いてくれたらうれしいですが嫌ってくれても良いのです。

お雛祭りだ

余計な心配や気苦労で

家のことをおざなりにしている。

思い立ったときにササッと気が利くわたしでいたいのに。

 

今日はほんの少しだけ自分に戻れた。

娘たちがいるのはありがたい。甘えさせない癖に甘えてばかりの母です。

 

子どもが長じるほど、実家の教育に感謝する日々です。

 


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 実家から授かったもの。

沢山いるけど小振りでかわいい。

『ひな祭り』のオルゴールが鳴るの。


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自分で菓子を選び、やってみたい~と。

 

 

いつもありがとう。

 

 

 

微笑合掌

胸を張っていい

今苦しんでいるあなたへ

共に。

 

 上手いとは思ってないんだけど江戸仮名の日記


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三月 三日

 

自分を見失うときは

人に力をあけわたしたとき

 

わがままにならずに

己をとおす生き方ができるといい

 

その選択が必要だったか

問うことはない

必要でなかったことを

知るための選択もある

 

自らすすんで挑んだのであれば

傷を負いやぶれても

 

武勇伝

 

である

 

※日記より

 

 


 

微笑合掌 

 

※追記

一日間違えてた。

自分の本分を忘れそうな夜です

毎日じゃないけど昨年から勉強のため可能な限り江戸仮名を織り混ぜた日記を書いていて。

 


少し

しんどいことがありまして

疲れてしまいまして 

誰ともない あなたへ。

 

 


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二月二十五日

 

くじけそうだと

言えない 言わない

 

間違えたんだと

言えない 言わない

 

強がりですか

受けとめて くれますか

 

受けとめられないこと と

拒絶 が  混同している

だから

怖くて しかたがないの

 

都合のいい わたしばかり

欲しがらないでと

云いながら

都合のいい あなたばかり

欲しがっている

 

 ※日記より

 

 

 

明日は病院。重い病気が見つかった訳じゃないけど念のため胃カメラなんだとか。自分を責めているから体が体を攻撃し始めたのかしら。来週は移植した歯も一本失います。【もう自分のものと認識してないから浸食し始めてます。残せません】と言われて。こんなわたしもわりとストレスがあるようです。

 

こんなに一生懸命体はSOSを出しているのに、飽き足らず今度は病気を理由に逃げようとしているだろうと自分を追い立てていて。

こんなわたしばかりを晒していたら悪趣味な人しか寄って来なくなってしまいそうですね。ごめんなさい。

でも自分がいつも正義で正しいからと当たり前のように他を攻撃し快感を得る人はやっぱり悪魔です。

 

 

 

みんなと違うわたし

0から1を生み出すわたし

だから既存の規範では計れないわたし

 

 

殺さないでください。

銀貨より大切なこと

母と話した。

わたしたたちはいつも心配しあってる。

 

「そちらは大丈夫?元気?中々会いに行けなくてごめんね。いいのいいの!大丈夫よ!元気、元気!」

×2

 

もう、録音音声でいいくらいテンプレw

 

 

世の中には


自分の満足や幸せを追い求めることを良しとしない人、自分の事より人を優先することが美徳とする人がいる。

 


わたしも過去長いことこの考えにはまっていて。でも塩梅が難しくて。

いつか誰かがわたしを見つけて『星の銀貨』のお話みたいに福を授けてくれるのを本気で待っていた。でも、中々見つけて貰えなくて、もうあげるものが何にもなくなると心まで捨て始めてしまった。

 

違うの違うの。

 

今は分かる。

 

 

 

 

わたしよ わたしらしく 幸せであれ

わたしよ わたしらしく 幸せであれ

 

わたしの大切な人が真剣に願っていることを叶えるんだ。それができるのはわたしだけ。そうだよね。

 

きっと、あなたも。

 

 

 

微笑合掌

個性くそくらえ

個性的ってなんなんでしょうね。

 

 

 

芸能活動してる人や個人で仕事してる人にとっていかに


『人と被らない』

『新規参入』

ブランディング


が大事か。

 

 

でも

正直その話飽きた。

 

 

もう色々出きってるし

上には上がいるし

みんながみんなそんなにすごいことできない。

 

だいたい具体的にどうしたら自分にフィットする《個性》が見つかるかなんて、本人次第で誰も教えてあげられない。

 

 

 

そもそも

個性的ってなんだろう。

 

 

どんなに真似したところでわたしは誰かに成りきれないし、誰かもわたしに成りきれない。本当は、もうそのままで十分個性的なはずだよね。

 


じゃあ、個性的って

『その魅力がみんなに分かりやすいかどうか』

だけなのかも。

 

 

 

この人は個性的でこの人は個性的じゃない、ってどんだけその人を知ってて言うんだろう。どうせろくに知らない。

 

自分を個性的じゃない、って思う人は自分をわかってないし、それ以上に他人のことも知らないんじゃないかな。個性的かどうかは『差違』なんだから。

 

 

もっとああしないと生き残れない

もっとこうでないと飽きられる

 

それは場面によってはそうかも知れない

(知らんけど。)

 

でも、

自分を殺してないと生きて行かれない世界に価値なんかあるの?

 

自分に飽きて離れて行く人を追いかけた先で、どれだけ豊かになれるんだろう。

 

 

焦りや不安から必死になったり、いたずらに自分を甘やかして傍若無人に振る舞うことで能力を発揮できるならすればいいけど、ほとんどの人が違うと思うんだよね。

 

その人が嘘偽りなく、一番活力に溢れて良いパフォーマンスができる状態を

『個性的』

というんじゃなかろうか。

 

 

 

毎日を丁寧に

体を大切に

好きな気持ちを大切に

嫌いな気持ちも大切に

人目を気にせず

他人の寛容さを許し

気持ちよさに耳をすませて

 

活きること

 

 

 

ができたら、本人以外にとってはもうたまらなく個性なんだと思う。

 

 


わたしは変わってるせいか、よく「こんな人と初めてあった❗」「個性的✨」って言われるのだけど

 

あなた、どれだけ世間を知ってるんですか?

あなたとわたしが違うだけじゃないですか?

と、思ってちょっぴり不快になってしまう。

 

わたしから見たあなたにも同じ現象が起きるとか思わないの?っていうのもあるけど、


人を簡単にカテゴライズしすぎだろ


と。

誰がどんな人間でいても自由だしそんなに簡単に『人』を知ることはできないし。

 

 

だから『個性的』はみんなそう。

だから『魅力的』って言うのが好きだな。

 

 

うん、それがいい。

みんなで魅力的になろう。

 

 

 

微笑合掌

自己紹介

わたしね、

母が忙しい人だったから

裁縫も

テーブルマナーも

お料理も

近所のおばちゃんたちに教わったの

母にフラストレーションを感じた時期もあったけど

逆にわたしが『わたしの憧れるお母さんになる』って幼い頃に決めたの

だから、生活に役立ちそうもない勉強は一切しなかった

教科書じゃなくてマナーブックや国語辞典や文学を読んだ

服飾の学校を出た次は商業系の短大で秘書や経営や金融を学んだ

バイト代でバレエを習って体作りを学んだ

広告の仕事に就いて世の中を学んだ

 

お母さんになった

 

でも同じ価値観の人と一緒になるのを忘れてた

 

だから不安で

 

いろんな事に手を出した

 

その姿はたぶん滑稽なんだと思う

 

でも根本は何にも変わっていなくて

 

働きたくない

人と関わりたくない

物が少なくてもいいから静かに暮らしたい

 

絶対に

 

近所の面白いおばちゃん

 

になりたい

 

面白いっていうのはひょうきんではなくて

 

 

なんでも知ってる

なんでもできる

清潔なのに

テキトーで

物怖じしないし

年齢不詳

いろんなことがとにかく謎

 

 

魔女のようなそれになりたい

やりたい《こと》の嘘

やりたいことをやる

のゴールはどこなのか

 

 

スタートは

憧れ

好奇心

使命感

不安感

劣等感

 

いろいろあるけど、 やりたかったことがやれたなら本来はその時点でゴール。

 

でもなんか、

「やりたいことやった《はず》なのに○○じゃない自分(現実)。」

 

って落ちる⤵⤵ときがあって。

 

 

 

「憧れてバンド組んだけど楽しくはない」

 

「仕事バリバリしてお金もらったけど思ったほど嬉しくない」

 

「好きな人とやっと付き合えたけどなんか違う」

 

「自分の作品を見てもらいたくて展示して誉められたけどなんか嬉しくない」

 

「憧れのお教室に通ってるけど逆に元気なくなる」

 

「美味しいもの食べたくて高い店行ったのに帰り不機嫌」

 

 

それって、

 

やりたい(経験)


じゃなくて


ほしい(結果)


だったのかもね。

 


ほしい《もの》を得るためにやらなきゃいけない《こと》をやってみて、もしそれが外れだったら淡々と違う《こと》を試すしかない。

 

のに、

 

「《はず》」(違和感)

 

がでてくるのはなんでだろう?


 

 

①《こと》と《もの》が混ざっちゃってる 

 

ほんとは結果が欲しいのに頭の中で整理、言語化してない。自覚できていない。

 

例:本当はバンドがやりたいんじゃなくてキャーキャー言われたい、キャーキャー言われるならぶっちゃけバンドじゃなくてもいい。

 

 

②《こと》=《もの》になってる。

 

これさえやれば○○になれる❗と思い込んでいた(信じきっていた)。

 

 

例:ドラマで見た金持ちはカッコよいし毎日楽しそうだった。カッコよさや楽しさは金の力じゃない部分も多い、なんて想像つかないからお金稼ぐことだけに力注いでただただ疲弊。

 

 

③自分が条件を満たしていない

 

ほしい《もの》に対してやる《こと》の方向性は合ってる。けど、そこに向ける気持ちや努力の回数が足りない。

 

 

例:素敵になるためには魔法なんか無くてそれなりに工夫がいる。カリスマのマインドや見えない所でやっていることを同じレベルでできないと近づけないし、憧れが強すぎてカリスマ自身が日々努力してるって現実に気付けない。

 

 

④自分のせい

 

ほしい《もの》はマインド。気持ちの切り替え次第で手に入る。けど、他人が何とかしてくれるはず、何とかしてくれないから困っていると言う甘えやおごり。

 

 

例:嬉しい、楽しい気持ちになりたい(してほしい)から美味しいものを食べる。けど「元気になるぞ!」というより「満足さしてみなさいよ」という態度。そもそも自分で自分のテンション上がるものを分かってない。機嫌悪くなる時点で依存度が高いし店で中々メニュー決まらない時の原因も同じ。 

 

 

 

総じて

 

 

《はず》

 

 

が口をついて出るときは思考が胆略的になっている。

納得できない。せっかちで焦っている。のんびり変わっていきたい《体》を《心》が許せない。

 


やりたい《こと》がほんとなら余計な結果はいらない。


欲しい何かを無条件に欲しがることに恥じらいがあるから嘘をついてしまう。

 

キャーキャーいわれたい

 

カッコよく楽しくなりたい

 

愛し愛されたい

 

ダメ出しがされたい

 

楽して素敵になりたい

 

 

 

それで良いのだけど。良いはずなのだけど、苦労する義務をみんなどこかで刷り込まれて大人になっている。


 

ほんとうに欲しいもの

まずは口に出して言ってみよう。

 

 

わたしは・・・

 

 

 


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