じゅんこイズム ~詩とか怪文書~

私の隙間に住み着いたあれやこれやを綴ります。好いてくれたらうれしいですが嫌ってくれても良いのです。

【夢をみている】

※【】このかっこがあるときは詩です。

 

 

ひとつひとつ

 

積み重ねて

 

ひとつひとつ

 

手放していく ゲーム

 

 

 

少しでも早く遠くに行くために必要だったもの

 

より大人になるために必要だったもの

 

誰よりも可愛くなるために必要だったもの

 

あの人のオンリーワンになるために必要だったもの

 

 

 

その時その時のスペシャ

 

 

でも、今はもう その時と違う。

 

ステージが変われば

必要なアイテムも変わる

 

必要以上に持ってたら

新しいアイテムは持てないんだ

 

 

苦労して買ったもの

泣きながら奪ったもの

頭を下げて戴いたもの

 

 

簡単に手放せてたまるか。

 

 

でもね、それを使って今ここに立っていることが全ての証明でかつての目的だったのよ、たぶん。

 

 

『大丈夫』って何回自分に言ったらいいんだろう

 

ドキドキしながら

後ろ髪ひかれながら

 

ありがとう、する。

 

 

自責の念が枯れたころ

向こうからまた

違うのがやってくる。

 

 

 

いつだって、そう。

 

 

 

30手前で感じる違和感

40手前で感じる折り返し

 

さあ、ようこそ積み減らす時間。

 

無から生まれて

無に還る

 

使えるものはチャッチャッと使って最後の持ち物は少ない方がいい。

 

 

そんな夢をみている。

 

 

 

 

 

微笑合掌

 


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イチローさんの真似とか

野球選手のイチローさんは有言実行の人らしく。


言ったことをちゃんとやるというのは自信に繋がるそうで。

 

例えば「今から水を飲む。」などあえて声に出してから飲むのも良くて、ハードルが低いことでも日常的に声に出してから行動するのだとか。

 


これは何年か前にスベらない話で次課長の河本さんがイチローさんのお話をされた時に語られたエピソード。日々の繰り返しで「自分の言ったこと(やりたいと思ったこと)は必ずできる」を心理的に刷り込むと実際にそうなっていくのだとか。

 

 

わたしはカッコつけなのですぐ「やります」「したいです」と言ってしまって、後からほんとはやりたくないことに気付いたり。

頑張っても1㎜も楽しくないって分かってるのに引き返せない自分をまたそれで責めたり、振り返るとそんな人生をやっていて。

 

こういうの普通にやる仕事の何倍もエネルギーを無駄に使うし、どおりでちっともイチローさんに近づけない(あたりまえ)。

 

 

頭よく思われたい

役に立つと思われたい

必要とされたい

評価されたい

愛されたい

 


大切なのはそこじゃないのにそんな気持ちがいつもどこかにあって。

 

結果を出せても出せなくても

一定数には評価されて

一定数には嫌われる

 って分かってるのに手放せなくて。

 


《作り込んだ必死の自分》で愛されたってそれじゃあいつまでも気が抜けないし《素》を愛されたかったら、まず《素》を見せないといけないのにね。

 

 

それが怖いから嘘をついて誤魔化しちゃうのかな。 

 

 

 

 

とりあえず今日は水を飲みます。

 

 

 

微笑合掌

全女子必見虎の巻。

おしゃれの話。


 

わたしは元来スポーティーな格好は好きでもなく似合いもせず。でも高校生のころはナイキのシューズやウィンドブレーカーが流行っていて制服の上からウィンドブレーカーを羽織って色を合わせたCAP、短くしたスカートにルーズソックスとスニーカーなんという出で立ちをしてみたり。

 

 

「うつむいた時にCAPからはにかんだ口許だけ見えて、八重歯が覗いてて、それがたまらなく可愛かった。」

 

 

と言ってくれた彼は元気だろうか。

 

 

 


ふとそんなことを思い出して、そういえば誰も触れないけどこれは大事かもという事を言います。

 

「モテファッション」っていうと女の子らしいフワフワウフフしたやつを連想するけれど、実はあれ、女の子として認識して貰えるというだけでガチのモテじゃないのではと思っています。

 


もし本気でモテたかったら

 

男子が知ってる

男子が欲しがる


物を着たり持ったりすると良いようです。



 

たとえば、

おしゃれな男の子から知らないブランドを自慢されても困っちゃう様に、男女のブランド認知には齟齬があって、女の子から見てレディースを展開していないブランドはあんまりウケない。けれどレディースブランドが出しているメンズラインを持ってる男の子がいたら「あ、これって・・・」とわりと話が弾んだり。


これの逆をやる、ということ。



フワフワ系は「似合ってなければ逆に地雷」になりかねないし、好きじゃなければ着なくていいんです。

 

 

背が高いとか骨太で男の子っぽい女子ならなおさら


時計

カバン

足回り


などにメンズブランドを持ってくるとおしゃれだし会話の種になることがあります。



アウトドア、スポーツ系の女子向けじゃないもの。だけど色やプリントに可愛げのあるもの。

くだけた同窓会や会議など女っぽい格好が浮きそうな場面のおしゃれとしてもカッコよく決まります。

あえて女の子らしい人がしてもギャップがわざとらしくない可愛さを生んでくれたり。ガッツかない可愛さ。

 

 


最近の

 

鉄子とか

歴女とか

ミリオタ女子とか

筋トレ女子とかも

 

 

同じ臭いを感じていて。

実際、同じ趣味の男子とお近づきになれるだろうし。

 

 

 

モテってつまり

《俺(私)のこと分かってくれそう》

が大事で。

 

 

 

向こうから話しかけさせる、というのがおしゃれの力のように思っています。

 


 

おまけ


わたし、似合わないけどメンズファッションが好きなんです。

メンズ系雑誌はBiginとかオーシャンズ、たまにメンノンを買うこともあるけど歯医者とかコーヒー屋さんでも見れます。美容院にもあるかも。女性向けとは違う語り口も面白いし、アイテムが丈夫なところも好き。似合いたい笑。

【分子】

※題名に【 】このカッコがあるときは詩です。

 

 

 

世界の全ては幾つものレイヤーでできている

   

 

私の耳に入るのは

幾つもが重なった音

   

 

私の目に入るのは

幾つもが重なった色

   

 

私の鼻に触れるのは

幾つもが重なった香

   

 

私の心に入るのは

幾つもが重なった物語

   

 

私の愛を呼ぶのは

幾つもの音と

幾つもの色と

幾つもの香と

幾つもの物語が重なった

   

 

ただひとつのあなた

素敵な《江戸しぐさ》

先日の記事にも書いたのだけど

江戸しぐさ》といって江戸商人から始まった慣習があります。



江戸時代は士農工商

侍はさておき、農民や職人は土地を変えても生きていけるのに対して縄張りの強い商人だけは土地を変えられないために助け合いや学び合いによって商売を回して行ったことが興り。



そこからさらに発展して、いかにカッコよく暮らすかの作法が生まれました。




江戸の町は人口密度が高く、気を付けないとぶつかったり、船に乗り損ねたり。また観光客や新参者も多く、気遅れさせないためのさりげない配慮が「あ、カッコいい!俺も次はああやろう」と広まっていったのだとか。

雨の日の路上ですれ違いざま傘を斜めにして通る『傘かしげ』なんかが有名です。


全ての人に尊敬を持って接する

相手に嫌な思いをさせない

いつも明るく気持ちよく接する


・・・それらが『癖』として身に染みていてこそ【江戸っ子】なのだ、というひとつの誇りでした。


その上、

「口酸っぱく教える」
「ダメな奴を排除する」
「テキストを読み込んで学ぶ」

などという無粋なことはご法度で、できる大人を真似るだけが習得方法とされたため詳しい文献は残っていないそうで。

なぜって『あたりまえ』だから。



文化ってこういうことを言うんだなあと知った時鳥肌が立ちました。


平たく言うと《紳士道》みたいなことでしょうか。


商人が9割をしめた江戸の町でいつしか職人たちにも粋な《しぐさ》が広まって町人中に浸透していって。


その全てが、どこまでも【クール】なもので。


図書館で書籍を少し見たけれどもっと知りたいなあと思いました。

 

 
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※イルカ模様の鍔。イルカは隠れキリシタンの隠語という説も。父のものです。こういった芸術の支えに町人の文化水準の高さがあったことは疑う余地がないなあと。

美しい気持ち

自分を責めたくないから

人を責める、

は良くないけど


じゃあ

人を責める代わりに

自分を責める、

が良いってわけじゃない。



人も自分も責めない方法を
確立した方がいい。



そこは認めよう。

 


元々の私達は
もっと大らかで
優しさに満ち溢れ
きっと穏やかで


だけど
偏った教育や
競争や叱責や
寝不足や過労や
偏った栄養が

いつしかそれを捻じ曲げてしまった。

 


寝よう
控えよう
休憩しよう
少しだけ、ズルをしよう

ヒエラルキーを忘れよう



今持っている全てを失ったつもりで一日を過ごして、それでも自分を愛せるか問おう



全ての失敗はヒントで
愛すべき助言で。


そのいら立ちも
その不満も
そのやるせなさや悲しみも
大いなるヒントで。



もっとできることは無かったのだろうか

空の上から自分を見つめて
静かに優しく微笑みながら
寄り添ってみよう


きっと

いらない遠慮や
配慮不足や

言葉足らずや

準備不足があったよね

その時は気付けなかったけど。



「うんうん、そうか。」

と自分の頭を撫でて
その問題は終わりにしよう。

 

 

 

 

微笑合掌

江戸文化とアドラー心理学

今日は少し面白い話。

こないだ若いお嬢さん達に話したらとても喜ばれた江戸文化の話。

 

 
 その前にこちらを紹介

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「嫌われる勇気」

ベストセラーになった本です。

ユダヤ人心理学者アドラーが100年前に提唱したアドラー心理学を元に会話形式で書かれた読みやすい指南書です。

 

 

アドラーは日本で主流となっている有名な心理学者のフロイトユングとはあまり関係が良く無かったこともあり、国内では積極的に学ばれてこなかったと聞きました。

 

 


アドラーが提唱している幸せな生き方は

 

「他者を思いやり、より大きなコミュニティーに貢献すること。その過程で自分の気持ちも押し殺さないこと。」

  

それを、息をするように自然に身につける


《共同体感覚》

 

 が軸になっているそうです。

 

 





全く別件で江戸時代の文化や教育についての本を読んでいたら、どうも


100年前にアドラーが【提唱】したことを

200年前の江戸市民がすでに【実践】していたようだとわかりました。

 

 

時代劇などを見るとその町人のほとんどが飲食店の従業員や芸者、職人といった労働者で一握りの経営者は悪役としてばかり描かれています。しかし、実際の江戸市民は9割方が商人で、後継者に限らず次世代への教育を重んじた彼らこそが町の経済や活気、治安を支えていたようです。

ユダヤ人の多くも所を追われて流浪する中、商人としての教育を財産に多くの富を得たそうです



江戸の人々には客を見抜く目や商才のみならずいかに信用を得ていくかを子どもの頃から徹底して教育し、狭い町に沢山人が溢れていても気持ちよく生活する知恵を「癖」のように身につける『江戸しぐさ』(=江戸人の考え方)がありました。上品で粋で頭脳明晰でおごらない集落を市民が主体的に伝え暮らしていたのです。

 


簡単なところでいうと

 

⚫子どもが一人前になるのは15歳

⚫転んだ人を助ける時は自尊心傷つけないようにしばらく見守ってから

⚫卑屈にならない、偉ぶらない

⚫相手が寛げるように配慮し、それをひけらかさない



そういったような内容ですがユダヤの教えとも合致するのです。

同祖、というと言い過ぎだけどあんまり似てるからどこかでヒントがあったのだと思っています。


そして、外国のものをありがたがるわりに我が国について知らされてないなあ、と改めて思うのですよね。





 

 おまけ


 

そもそもの【江戸】という単語も諸説あり、一説によれば「江戸氏」を名乗る方々が町づくりに貢献したと言われています。

 

 

これ、ヘブライ語だったら面白いなと思って調べたらありました。

 

 


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出典:http://www.historyjp.com/dictionary.asp



 

日本語とヘブライ語神道の起こりから関係しているという先生も。ひふみ祝詞ヘブライ語?なんて。


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 ※諸説あります。

 

ではまた来週笑。