ゲーテ先生、日本酒のうまい店行きましょうよ。 ~他人の愛し方~
長男を産んだ時思った。
力なく小さな体。何者かの加護が無くては育めない命。
この子も私も永遠の命ではない。いつまでこの命と沿うことを許されるだろうか。
出産は命がけだ。
生理の遅れから始まる不安、妊娠の発覚による生活習慣の見直し、訳のわからない嗜好の変化と体調不良。
体が揺れる。
心も揺れる。
そして、 待ったなし。
事実上の解雇、急ごしらえの結婚、切迫早産による2週間の入院・安静、陣痛の恐怖、緊張と激痛の出産、悪露の匂いと痛み、授乳の不安、不眠、発育の心配。。。
ハゲるわ!(ハゲげなかったけど)
やっと出会えた新生児はあまりにも小さくて軽くて首もぐにゃぐにゃ。触ることすら怖い。どんなに本を読んでも他の人の様子を見ていても覚悟していても、初めから上手く抱くなんてできない。産んだだけで自動的に「母」になるのに、努力なくしては「お母さん」にはなれないんだよ。
私が落としたら死ぬ
私が無視したら死ぬ
私が死んだら・・・?
もし万が一、私が死んでも・・・生きて行ってほしい(いや夫も親戚もいるけどさ)。
だから祈った。世の中は優しい人であふれてほしい。
手を差し伸べることを厭わない、自分や自分の家族を犠牲にすることなく心を配れる人で。幸せな人で。そんな世の中ならきっとこの子は救ってもらえる。愛してもらえる。
・・・あれ?
そうできない人がいたら?・・・コミュニティーにはいられなくなるのがいいな。
そういう人はうまい事排除されるか改心するかできるといいな。
そうね、いじわるで不幸好きな困った人はいない方がいい。
ん?・・・私は?
『もしも理想の世の中になった時、私は市民権を得られるのだろうか?』
人に望んでおきながら自分がそれを提供できないのであれば、私にとってその世界は実現しえない。
私が息子を愛するならばその世界の市民権を得なくては。手を差し伸べられる私でなければ辻褄が合わない。。。愛してもいない人を助けるの?は?
~休憩~
違う!
私が息子を愛するなら、同じように他人にも息子を愛してほしい。
私が息子を愛するなら、息子が何か不利益を被る時、きっと苦しい。
私が息子を愛するなら、目の前の誰かも誰かの「息子」であると知るべきだ。
私が息子を愛するなら、目の前の誰かのために苦しむ「母」を知るべきだ。
そうか。
みんな誰かの愛おしい子供だ。
愛する人にするように接しよう。時に優しく、時に厳しく。
そして私自身も母の「子供」だ。愛する人にするように扱おう。時に優しく、時に厳しく。
出自なんか関係ない。出生に愛があったかなんか、事実がどうかなんか関係ない。だって愛してるって伝えるの難しいもん。親だろうがなんだろうが誰がどこで誰を愛してたかなんて調べようがないもん。だからみんなが「愛されてる」っていうのを私は選ぶ。
一人を本気で愛したら、世界中を愛せなかったら嘘だ。
何年もしてからゲーテ先生が私と同じことをおっしゃってたのを知った。
だから年上だろうと年下だろうと関係ない。その人のなかの「子供のその人」を私は見るようになった。愛おしい誰かの子供。
産前と産後の入院合わせて3週間、数えきれない出産を「聴いた」。数えきれない赤ちゃんを見た。
悲鳴なんかじゃない、出産の『断末魔』が夜の病棟に響き渡って、最初は怖くて仕方なかったんだけど「がんばれ!」って祈ってた。顔も名前も知らないけど、みんな産んだわよ!あなたもできる!きっと私も!絶対に大丈夫!!!って。
新生児室に並んだ赤ちゃんたちは大きかったり小さかったり、うんと小さかったり。
白い肌、赤黒い肌、黄色っぽい肌。
同じ日に生まれた子でも、顔から何からありえないくらい全然違う。自分の子は顔はもちろん、2日もすれば鳴き声だけでもわかるようになる。
そりゃそうよね。誕生日が一緒でも妊娠28週で生まれる子もいれば35週で生まれる子もいる。お母さんの生活習慣もきっと違う。生まれた時点でこんなに個性豊かなのに、社会にでたら「同い年だから」で足並みをそろえないといけない。仕方がないとは言え、そんなのばかみたいって思った。
100人の赤ちゃんが寝ていて、どれか選びなさいと言われたら・・・私は選べない。赤ちゃんはみんな無条件に可愛い。全員を育むことはできないけれど。
だから、出会う人はみんな可愛い私の子供。ばれたら気持ち悪いけど以来勝手にそう思って接している。だから「イケそうだな」と思ったら基本呼び捨てしてみたり(笑)
(心がやさぐれるときはこれを忘れてる) 。
( ´∀` )
叶うならいつか、いっぺんでいいからゲーテ先生とお酒を飲みたい。あちらへ行った時には誰か美味いお店を教えて。