【みんなと同じことができない】 という素晴らしさ
(今朝の泣いちゃいそうなくらい素敵な気づきのお話です。)
朝 起きれない
必ず 遅刻する
期限が守れない
計算ができない
早く走れない
沢山食べられない
すぐ体調を崩す
身体にハンディキャップがある
顔や体にコンプレックスがある
掃除ができない
お風呂が嫌い
ゴミが捨てられない
コミュニケーションができない
節約ができない
とか。
とか。
あのね。今朝、
「パンドラの匣」を開けたの。
数か月前にお菓子を作るために生クリームを買って。私にとっては贅沢品なのね。でも忙しくなってしまって賞味期限が過ぎてしまったわけ。でも高いお金(たかだか400円くらいです 笑)を出して買ったから捨てられないのと、そのまんま開けないで処分すると焼却の際迷惑になるから何かに染みこませないといけないの(という良識のある人だけに課せられたルールがある)。開けた時にピンクのカビが生えてたらいやだなあ・・・と放置しつつ、燃えるごみの日に限って忘れちゃって「あ、また忘れた」をずっと繰り返していたわけ。
朝、冷蔵庫の中がごちゃごちゃしていたから整理したら。あら。
奥の方からすっかり忘れてた生クリーム。賞味期限17・2・22。。。
開けた。
ん?
白いよ?
もしかしてサワークリームとかバターとかになっててくれないかしら?
持つとなんだか重い。匂いも臭くない。
スプーンでおそるおそる一口。
味はしない。甘くもない。サワークリームに近いけど美味しくはない。
水分が少し残ってたからそれも一口。
こっちは甘くてミルクの匂いがほんのりして美味しかった。
暫くしてなんとなくへんな味を感じたので残っていた水を捨てて・・・・
また放置してみた (笑)。もしかしたら、もうちょいで美味しくなるかもしれない。もしこれが上手く行ったらみんなにシェアしよう!
わたしたちの生活はこんな「うっかり」や「恐いもの知らず」のおかげで発展したこともきっとたくさんあるよね。
あれ?・・・いやだ、みんなが同じだったら知識も文化もちっとも広がらないじゃない。良く考えて導き出すだけでは越えられないことがたくさんあって、時には命がけじゃなくちゃデータのとれないこともあって、いつどこでそれが見つかるかなんて誰にも解らない。
【みんなのために命を投げ出すこと】
は勇気や感動や生きる意味を教えてくれるかもしれない。
でも、
【餅をのどに詰まらせた人】
は「え?そんな危険があるんだ!!」とリスクを教えてくれる。
カッコいいとか悪いとか役に立つとか立たないとか社会的に規範かどうか、そのこと自体はすべて同等に意味があるのに受け取れないからこそジャッジしてしまうのかも知れない。
あのときAを選んでいたら・・・Bを選んでしまったからわたしは・・・
ほんとうにそうなのかしら?
もしかしたら、誰かが選ばない分をみんなで手分けしてやっているのじゃないかしら。一人が全部の道を選ぶことはできないから、こんなことあったよ、あんなことあったよ、って何気ない事をシェアすることってほんとはすごい事なのかも知れない。それが大きなことかすごいことかどうかは【受け取る人】が決めている。人は分かりやすい事ばかりに群がってしまうけど目に見えている「それ」だけが価値ではないはず。
それが合っているなら、きっと自分で自分の意味を探さなくてもいい。人が勝手に気付けばいいし意味なんか無くても構わない。わたしがいることが、この生き方をしている人間がいるという時点で意味をなしている。人を見て「あら?」「おや?」と思ったときに『どのような意味を感じられるか』だけ研ぎ澄まして行けたら、いつでもどこでも何かが無くても、
幸福になれる気がした。
(直後に息子を叱りましたが 爆)
微笑合掌