じゅんこイズム ~詩とか怪文書~

私の隙間に住み着いたあれやこれやを綴ります。好いてくれたらうれしいですが嫌ってくれても良いのです。

個性くそくらえ

個性的ってなんなんでしょうね。

 

 

 

芸能活動してる人や個人で仕事してる人にとっていかに


『人と被らない』

『新規参入』

ブランディング


が大事か。

 

 

でも

正直その話飽きた。

 

 

もう色々出きってるし

上には上がいるし

みんながみんなそんなにすごいことできない。

 

だいたい具体的にどうしたら自分にフィットする《個性》が見つかるかなんて、本人次第で誰も教えてあげられない。

 

 

 

そもそも

個性的ってなんだろう。

 

 

どんなに真似したところでわたしは誰かに成りきれないし、誰かもわたしに成りきれない。本当は、もうそのままで十分個性的なはずだよね。

 


じゃあ、個性的って

『その魅力がみんなに分かりやすいかどうか』

だけなのかも。

 

 

 

この人は個性的でこの人は個性的じゃない、ってどんだけその人を知ってて言うんだろう。どうせろくに知らない。

 

自分を個性的じゃない、って思う人は自分をわかってないし、それ以上に他人のことも知らないんじゃないかな。個性的かどうかは『差違』なんだから。

 

 

もっとああしないと生き残れない

もっとこうでないと飽きられる

 

それは場面によってはそうかも知れない

(知らんけど。)

 

でも、

自分を殺してないと生きて行かれない世界に価値なんかあるの?

 

自分に飽きて離れて行く人を追いかけた先で、どれだけ豊かになれるんだろう。

 

 

焦りや不安から必死になったり、いたずらに自分を甘やかして傍若無人に振る舞うことで能力を発揮できるならすればいいけど、ほとんどの人が違うと思うんだよね。

 

その人が嘘偽りなく、一番活力に溢れて良いパフォーマンスができる状態を

『個性的』

というんじゃなかろうか。

 

 

 

毎日を丁寧に

体を大切に

好きな気持ちを大切に

嫌いな気持ちも大切に

人目を気にせず

他人の寛容さを許し

気持ちよさに耳をすませて

 

活きること

 

 

 

ができたら、本人以外にとってはもうたまらなく個性なんだと思う。

 

 


わたしは変わってるせいか、よく「こんな人と初めてあった❗」「個性的✨」って言われるのだけど

 

あなた、どれだけ世間を知ってるんですか?

あなたとわたしが違うだけじゃないですか?

と、思ってちょっぴり不快になってしまう。

 

わたしから見たあなたにも同じ現象が起きるとか思わないの?っていうのもあるけど、


人を簡単にカテゴライズしすぎだろ


と。

誰がどんな人間でいても自由だしそんなに簡単に『人』を知ることはできないし。

 

 

だから『個性的』はみんなそう。

だから『魅力的』って言うのが好きだな。

 

 

うん、それがいい。

みんなで魅力的になろう。

 

 

 

微笑合掌