じゅんこイズム ~詩とか怪文書~

私の隙間に住み着いたあれやこれやを綴ります。好いてくれたらうれしいですが嫌ってくれても良いのです。

イケてない理由 2

わたしより素敵な人は沢山いるし

わたしより出来ない人も沢山いる


その基準はわたしが勝手に決めているし、みんなも勝手に決めている。


比べること自体にはたぶんあんまり意味はなく、



未来に待っているのはご褒美やハッピーやポジティブやゴールでもなく。



欲しいものを欲しがっている自分は

何を手に入れても

欲しいものを欲しがっている自分のまま



あれはいけないと怒っている自分は

何か解決しても

あれはいけないと怒っている自分のまま




今している、感じていることがそのまま叶えられて行く。


そう思う。




芸能人のスキャンダルに怒っている人は

ほとぼりが冷めると

子どもの担任に怒っていたりする。



カッコいい車が欲しいと稼いだ人は

車を買うと

マンションを買うんだと稼いでいたりする。 





本当は


すごいことなんかできなくていい

社会的にダサくてもいい

問題も放っておいていい

難しいことも知らなくていい

親しくない人を嫌ってもいい



そんな風に教える親はいないし、その教育は正しい。



でもわたしは長い間、意思や欲求を消すことで放棄することで自分を守っていまった。ただ、ただ生きていることを世界に許されたくて。


でも、

何をしても、何を手に入れてもなぜか生きていることを世界に許されたいわたしのままでした。



わたしはこれがすき

わたしはこれがいや


それを捨てない、弁解しない。理解は求めても承認を求めない。世界がどうでもわたしは許そうと気付いて。


盾は守ってくれるけど、光を遮ってしまう。

光を得るには身を晒すことが必要で、自分を認められなければさらけ出すことはできなくて。



守ることをやめたら、自分の中の

飼い慣らせない、隠すしかなかった 怒りや悲しみに出会って。


でもそこで悩んだり向き合うとそれが続いて行くから


だから


「ぷーっ!あなたって恥ずいね!面白いね!」


て思うんです。



生きるってそのくらいでいいんですよ、きっと。