じゅんこイズム ~詩とか怪文書~

私の隙間に住み着いたあれやこれやを綴ります。好いてくれたらうれしいですが嫌ってくれても良いのです。

呪詛(じゅそ)

取り繕った上に何を塗り固めても「解決」したことにはならないね、という話。


 

極限までやった先でしか気付けない人もここにいる。

 

わたしが諦めたあれやこれやを手に入れてる人を見て、「え?」て思うことが多い。

 

そしてやっとわたし自身も人に「え?」と言われてきた意味を知る。

 

わたしが他所様をいいなと思うようにわたしも他所様にいいなと思われてきた。

 

でもその価値を信じられなかった。大切に出来なかった。

どうしてわざわざ自分から嫌な選択を進んでしてしまうのだろう。わたしの価値を分からない人の寵愛を受けるために。そんなものいる?

 

相手が誰であろうとプレゼンさえうまくやれば価値を感じてもらえるとは思う。でも自分が自分を信じていなければなんでも中途半端で終わる。

 

相手としっくりこないのは自分としっくりきてないからだ。自分を信じていたら迷うことなく相手に合わせて一番「いい距離」が取れるのに。全人類と恋人になる必要はないのだから上手くやらなければ。

 

間違えた。

失敗した。

損失を出した。

 

認めたら自分の価値がまた目減りしてしまう気がして「損切り」ができない。ゼロベースからやり直せる自分を想像できない。自信のない人間はそうやってどんどん沼に嵌まっていく。

 

本当はみんな初めからわかってる。悔しくて泣いてもおいそれとは抜けられない。

 

このままで幸せを感じることはできる。

このままで愛を感じることはできる。

このままで生きていくことはできる。

 

そうやって世界に合わせて来たから?そうやって教わったから?

 

でもそれ、嘘みたいよ。

 


だから今一度、自分に呪をかける。


わたしにもできる。

わたしにもできる。

わたしにもできる。

わたしにもできる。

わたしにもできる。