じゅんこイズム ~詩とか怪文書~

私の隙間に住み着いたあれやこれやを綴ります。好いてくれたらうれしいですが嫌ってくれても良いのです。

わたしの思う


①調理ができる

②料理ができる

③食事が作れる

④料理はできない

 

は、

 

 

①調理ができる

切ったり、焼いたり、煮たりができる。

 

②料理ができる

必要な材料を選んで買ってきて、カレーやパスタやサラダなどの料理が作れる。

 

③食事が作れる

食材の準備、栄養や彩りのバランスを考えた『献立』を組むことができる上にそれらを同時進行でタイミング良く調理し、配膳する事が出来る。

 

 

④料理はできない

食べる人の好みに合わせ、ある程度バランスの良いラインナップで買って来ることができる。

 

 

 

①の人は「料理ができないわけじゃない」といいがちで、やらせてみれば分かるけどしょっぱなからキノコは洗うのか、キャベツはどう切るかなどいちいち聞いていたりする。主に出来合いの市販ソースを使った味付けで予算は度外視のことが多い。

 

②の人にありがちな「料理?作れるよ!」は1品しか出てこない(肉を焼いて終わり、味付け卵のみ、など)。もしくはチグハグ、単一な献立(サンドイッチとお味噌汁、唐揚げと鳥肉のサラダなど)。①よりは手際がよく味も安定しているけど、魚のつみれには魚の出汁を使わないなどといった出汁と具のバランスや一方が味噌味なら一方は醤油味にするなどとといったメインとサイドのコントラストが考えられない、というか知らない。

仮に主婦でもあまり料理しなくなると献立のセンスがおかしくなるし料理していても精神的に疲弊してくると陥る。



③の人は取り立てて料理ができることをアピールしない。本人曰く特別熱心でなくてもなんだかんだ気に入りのレシピ本があったり、無自覚ながらTVや外食で定期的に情報収集している。過去にある程度は苦労して習得しており、食事で一番肝心なのは食べる人の満足度だと心得ている。手間ばかりかかってコスパも味も良くないようなメニューは絶対に作らない。出来上がっても美味しくなかったら出さない、くらいの潔さがある。

 

 

④の人は長い実家暮らしでやってくれる人がいるのか、とりたてて使命感はない。食べることは好きな場合が多いが市販の味付けに慣れているために高級品などの繊細な味の違いに気がつきにくい。手作りでは薄味に感じて満足しない。金銭に余裕があるかコストの計算ができない。出来る人間とは「単純な技術の差」だけだと思っている節があるので本気ではリスペクトしていない。



 我が家は夫が①と④でわたしが③。日々の食卓において感謝が薄い傾向がある。

病気して食事療法を取り入れてからありがたみが分かるのでは遅いんだぞ、と思う。