じゅんこイズム ~詩とか怪文書~

私の隙間に住み着いたあれやこれやを綴ります。好いてくれたらうれしいですが嫌ってくれても良いのです。

男らしく 女らしく その人らしく

※注、わたしに差別意識はありませんがセンシティブな内容を好き勝手語っているので不快に思われたらごめんなさい。何かを決めつけたり誰かの行動を制限させたいといった意図は無く、どのようなアイデンティティでも尊重されていくことを望んでいます。




基本的にこの世には「男」と「女」と「どっちも」しかいないと思っています。

性別と言うのは「出生時に生物学的な判別をされたとする記号」。どっちもはその両方の特性を持っている人。先天的な特徴としてはどんな方でも必ずどれかに当てはまるのではないでしょうか。


後天的に外科的処置で性別を変更する方もいますがその場合は希望した方に入ると考えています。性自認と違って性別が「どちらでもない」という人体は難しく思います。



わたしは誰が誰を愛そうと全く自由だと思うし、いい意味でそこまで興味がありません。

 


LGBT”の運動を知った時、とっても応援したい、と思ったのと同時にそもそもそれを特別視することに大きな違和感がありました。


これはあくまで個人的な意見ですが「同性愛」が差別される世の中ならば、よっぽど「少女性愛」の方がカミングアウトしてもらわないと困るし脚フェチも尻フェチもカミングアウト、制服フェチも巨乳フェチも貧乳フェチもしてもらわないと困る。「だってそういう目で見るんでしょ?(実際どうかは関係ない)」って。『性別』と『性自認』と『性的嗜好』をごっちゃにしているようで何か座りが悪くて。そして「法に抵触しない限りお互い好きにやりましょうよ」と言いたくなるのです。だって別に目の前でイチャイチャしてる訳じゃないし、結婚出産云々はもっともっと先にある話だし不妊の事を勘定に入れたらもはや性別は関係ない。差別があるのは事実だけど「気持ち悪い」と言われなきゃいけない実害のある人達は絶対に彼らではないと思うのです。

 

 

性同一性障害、というのも『障害』と呼ぶことで救われている人たちがいるようだから良いのかも知らないけれど、当たり前の個性として受け入れられたらいいのにと思います。


ただ、わたし自身は性別関係なくオシャレじゃない人が苦手なのでみんな自分に似合うようにオシャレしてほしいな、とは思います。宴会芸でふざけて女装する人がいるけどそんな風に見えてしまう方がたまにいて、街中ですれ違うと若干ビックリしてしまう。(本当に余計なお世話だしただのジャッジなのですが)本人が好きで気に入っているならあれなのだけどそこは多分ずっと気になってしまうだろうなと思います。決してジロジロ見たり後ろ指さしたりはしません。でも機会があるならお手伝いしたい。

 


わたしが変わっているのか「わたしは女なんだから!」みたいに強い性自認を持つ人を見ると若干引いてしまいます。わたしの体は女だけれど時には女として見れない人もいるだろうし女性の扱いを分からない無知識な人も沢山いらっしゃる。男の人の服や嗜好品も素敵だし、内面的にも男性的な側面が必要な場面もある。女装も男装も悪ではないし、体と心の性が一致していても見た目では「どちらだろう?」となってしまう人もいます。思ったように扱われない事に怒るのは意識過剰な時があります。ジェンダー云々ではなくそのせいで苦手意識を抱かせてしまう場面もあるのでは?と思ったりします。



タイでは性別と性自認性的嗜好を組み合わせ11にカテゴライズしているそうです。[体は男性で性自認は女性で女装]をしている、けれど性的嗜好は[性自認が男性の男装をした女性]が好み、とか。



偏見や差別はされた側しか分かりません。だから○○ハラスメントという言葉が増えるのは語る上でとても便利に思います。ただいじめ問題同様、寄り添いすぎて被害者が加害者へ転換してしまう可能性もこっそり知っていなければとも思います。真摯にみんなで取り組んで行くためにも当事者、第三者全体の意識改革が必要なんだろうなあと思っています。


もっと知りたい、力になれたら、と思って近付いてもそのこと自体を「差別だ」と言ってしまったら話が進みません。じゃあそっとしておこう、と距離をとったらまたそれも「差別」になりかねない。過敏になる事で壁が出来ることがあります。被差別者にとって勇気を持って開いていける場がLGBTイベントなのかなと思います。



また、

Q(クエスチョン:性自認がわからない、無い)

A(アセクシャル:性的欲求が無い)

X(エックス:性自認が男女を行き来する)


といった方々もいらしてそれぞれに『みんなと違う辛さ』があると聴きます。全くもってこちらも個性の範疇な気がしてしまうのだけど辛さはとってもわかります。なにしろわたし自身が非常にQAX寄りなのです。わたしが若者のときはこのようなカテゴリーが無く、性自認性的嗜好について語る機会にも恵まれないまま、周囲からは当たり前のように女性として扱われ「頑張ってそれなりに」年齢を重ねてきました。おいそれと向き合えないけれど似たような方がいる、いて良い、と知っただけで救われるような気持ちがしたのを覚えています。



男性も女性も体に適した運動や食事をしなければ発育的に心配ですし、本人の認識がどうであれ女性の体で隙のある格好をしては防犯的に問題があります。

内面的にどうか、ということも大切ですがある程度教育の過程では「男らしく」「女らしく」は必要だと個人的に思います。でもそこに「あなたらしく」も入れてくれたらもっと素敵な気がしています。


そして


それは差別に関係なく私達全員が望む社会な気がします。