じゅんこイズム ~詩とか怪文書~

私の隙間に住み着いたあれやこれやを綴ります。好いてくれたらうれしいですが嫌ってくれても良いのです。

長く優しいお説教がありました。

生き方に戸惑う日もあります。

うまく行かなくて、「美」を手放そうと思いました。

 

ここ2年ばかり不安から世俗の欲に引っ張られ、あれよと財を失いました。

強くあれ、美しくあれ、と上を目指し飽和しました。

何が自分に「ふさわしいのか」と、

何が自分に「ここちよいのか」は違う。

 

流れについて行ききれず、心の息が切れました。どこを目指していたのか見失い、自分で選ぶ力も今日はありません。

 

用も取り止めてひたすら眠りこけ、夕暮れにやっと外へ出てうなだれていると《自分様》に強く、強く言われました。下はその内容をまとめたもの。

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その ぐわいへん(外辺、外見)は当体(本質)ではない

みなさまとつながるためのもの

善くつかうこと

善くわかり 知ること

 

ご縁することにいみがある

目にみえる形にとらわれるなかれ

 

金子(金銭)、名声に重きをおくべからず

じゅんこにとって(それらは)まやかしなり

まどうことなかれ

かなしむことなかれ

ただ 生きるだけで善い人

 

 

 

ただ、ただ、生きてそこにおれ、と。

そういえば一見無駄に見えるあれもこれも向こうから呼ばれて縁したのだと自覚していました。

お金はたくさん無くなりました。ご縁と技術は手に入れました。外見を上手く使え、は手放そうとしていたわたしの思いとは逆かも知れないけれど「持っているものを駆使して人様の為にさらに縁しろ、そのための命」と言われた気がします。まだうまく掴めていませんが。

 

もしかしたら、わたしが進んでなにかしなくとも縁するだけで気付きや癒しを得る人がいるのだ、それを認めてそれに努めるようにということなのかしらね。少し泣きました。

 

でも、それって誰でもがきっとそうよね。信じられるかどうかだけが境界線だけれども。

 

 

 

 あ、なにか良い仕事があったらください。

 

 

 

 

微笑合掌