じゅんこイズム ~詩とか怪文書~

私の隙間に住み着いたあれやこれやを綴ります。好いてくれたらうれしいですが嫌ってくれても良いのです。

1 洗脳とマインドコントロール②

※わたしの生き方や考え方について質問を受けたのでしばらくコラムを書こうと思います。

 

 

 

つづきです。

 

 

人間の脳は3層構造になっていて内側から

 

・爬虫類

 

・哺乳類

 

・人間

 

 

の順番に発達すると

聞いたことはありますか?

 

 

直接脳を見たことはないけれど、子どもを育ててすごくこの理論が腑に落ちました。

 

 

新生児から2才くらいまでが

 

・爬虫類的な欲求

 

(体温調節ができない、食べたい、寝たい、不安や危険を回避したい)

 

 

2才くらい~12才くらいまでが

 

・哺乳類的な欲求

 

(爬虫類的な欲求に加え遊びたい、注目されたい、優位に立ちたい、所属したい)

 

 

思春期が移行期になり

大きく個人差があるものの40才くらいまでには

 

・人間的欲求

(他二つに加え注目や評価を伴わない貢献への意欲、目的意識)

 

 

が芽生えるのではないか、と感じています。

 

 

 

 

もし、わたしの感覚が間違っていないなら今後、英才教育のタイミングや内容は吟味すべきかも知れません笑。

 

 

子どもを動物に例えるのは不謹慎かも知れませんが、動物番組にみる飼育員から子育てのヒントが得られるとわたしは思っています。

 

 

彼らは発育に連れて餌を変えねばなりません。形状やタイミングを工夫しながら試行錯誤して食への興味や意欲を引き出す努力が必要です。また保護団体では親とはぐれた動物を保護し野生に帰れるように飼育することもあります。

 

 

動物たち自身にとって必要を感じない変化であっても生体を熟知した専門家が『より良く生きるため』にと献身的に教育していきます。

 

 

パブロフの犬、という有名な実験があります。

犬に餌を与える際、必ずベルを鳴らしてから与えるように繰り返すうち、ベルの音を聞いただけで犬がヨダレを出すようになった、というものです。これを条件反射といいます。

 

 

 

誰かが意図した行為により対象の行動をリードする場面は人間にもあります。

そしてリードが完了してもなお、対象者はその意図に気が付かないことが多く感じます。自分が受けた教育、価値観や欲求の植え付けについて『本当のところ目的は何だったのだろうか』という問いを持てると世界が違ったものに見えるかも知れません。そのことにより他者への不信感が芽生える場合もありますが無駄に傷付かず、また人に優しく接することができるようになるのではとわたしは思っています。

 

 

 

前述の飼育員ですが、成育のため餌や行動(例えばヒナを飛べるように促す)など個体に新たな欲求を植え付ける仕事がドラマチックでわたしには魅力的に映ります。

 

ですが、使っているテクニックはコントロールにあたります。これを素人がやったらどうなるでしょうか?

 

もちろんプロでさえ未知な個体もありますから慎重であっても失敗はあるでしょう。でも最終的にどこへ導きたいのか、どこへ導ける個体なのかを判断せずやみくもにコントロールすることは危険行為であると分かりますよね。

 

 

しかしながら子育てではそうであることが往々にしてあります。

 

 

欲求に関して言えば、わたしは子育てのプロではありませんし(そんなものはいないと信じています)飼育員もしたことがありません。のみならず目まぐるしく変わる社会環境に自分自身がついて行かれていません。

 

正直、一緒に泳ぐのが精一杯です。

 

 

だから、というと甘えになりそうですが家庭において子ども達の将来を『明言する』ことは避け、考え方を伝えて行きたいと思っています。わたしの発する言葉や行動がコントロールになってしまう責任感は感じつつ、わたし自身の課題でもある

 

自分で答えを導きだせる人

 

になって欲しいなと願っています。

 

 

 

微笑合掌

1 洗脳とマインドコントロール①

※生き方や価値観について質問を受けたのでしばらくコラムを書いて行こうと思います。

 

 

 

【洗脳とマインドコントロール

 

オウム事件以降頻繁に耳にするようになったけれど混同されている単語たちです。

 

 

洗脳

体罰など身体的苦痛を与えることにより行動を制限させる恐怖による支配(条件反射も)

 

 

 

マインドコントロール

体罰など身体的苦痛を与えずに思考や行動を制限させる教育による支配

 

 

 

 

多くの宗教や道徳教育も広義では後者に当たると思います。

そうするとマインドコントロールの手法自体は悪と言い切れません。

 

 

子どもが何食わぬ顔で虫や友達を傷付けていたらあなたは何と声をかけるでしょうか?

 

 

 

 

問題なのは受信者の行動や選択が社会全体ではなく発信者や特定団体に限定した利益を生み出す場合です。

 

 

もし、昨今問題になっている『社蓄』『過労死』が純粋に社員教育によるものならば悪質なマインドコントロールです(個人的には家庭や学校による土台作りがある気もしています)。

 

 

他者の幸せを思い助言や教育をすることは善行と思われがちですが、詰まるところたとえ家族であっても本当の意味で他者を『幸せにする』ことは不可能だとわたしは思っています。

 

何故ならば、なにが幸せかは本人が感じていないと意味がないからです。

 

 

集団、団欒、おしゃれ、高学歴、上場企業、高収入、結婚、出産、子どもの高学歴・・・

 

 

○○を手に入れたら幸せな『はず』『はずなのに』。

 

それは親や友達、メディアからのマインドコントロールではありませんか?

 

 

前述の子どもの様にいたずらに人が苦しむことをしてしまうのは困ったことですが教育に必要なのは『Aを選ばせる』ことよりも『AかBか選ばせる』こと、さらには『選択肢は自分の力で無限に作り出すことができると気付かせる』ことなのかも知れません。

 

 

これは子どもに限った話ではありません。すでにわたしたち大人が囚われていることに『気付いて』行きたいものです。

 

 

かくいうわたしもがんじがらめの一人です。

 

 

 

なぜ?

どうして?

いつから?

これからは?

 

を一緒に考えて行けたら、わたしたちはもっともっと優しさに溢れた世界を作って行けそうな気がします。

 

 

ここちよい

 

ってなんだっけ?

 

 

 

 

 

微笑合掌

メンヘラヤリチン問題

メンヘラは『メンタルヘルス(女子)』が語源です。メンタルヘルス系スレッドにいそう、もしくはそっちに行け的な意味合いです。こじらせ女子を「関わりたくないなあ」レベルまでパワーアップさせたイメージ。もちろん悪い意味で使われ始めました。

 

 

ヤリチンは個人的にはヤリマンからの造語だと思っています。性交渉の頻度が高い、もしくは不特定多数と関係をもつ人を揶揄する言葉です。そもそもヤリマン自体も『あげまん』から派生した言葉に感じます。

ヤリチンという名称に関してややこしいのは揶揄する意味合いとは別に「性剛自慢」的なニュアンスが生まれていて、きちんと定義がなされていない感があるところです。

 

 

わたしの友達界隈で「メンヘラ、ヤリチンを自称できる方が爽やかだよね」といったディスカッションがなされ、一方で「蔑称をカジュアルに使いたくない」という方もいました。

 

 

(言霊的にはよろしくないので使いたくない気持ちがある場合はお使いにならないようオススメします。このブログもスルーしてください😃)

 

 

ただ、このディスカッションの肝は「自覚」の大切さにある気がします。しかし、定義が曖昧なために本人と他者の間に齟齬があるような気がしてならなかったのです。

 

 

メンヘラに関してわたしが思うイメージは

①慢性的に浮き沈みが激しい

②それをおくびもなく表現する

③他者に依存的

 

 

ヤリチンのイメージは

①不特定多数と関係

②頻度が高い

③行為のクオリティにはあまりこだわりがなく経験人数が増えれば良い

④明るく無計画

 

(その他、

⚫機能が優れている

⚫テクが優れている

⚫女性にモテる

⚫YSP(やりすてぽい)

なども挙げられましたが全てのヤリチンがそうとは限らないのかなと思い省きました)



メンヘラもヤリチンもパッドでごまかす『なんちゃって巨乳ちゃん』みたいに【その時】が来てしまったら隠しようが無く、相手をびっくりさせたり場合によっては傷付けてしまうことがあります。


受け手に免疫があればいいけど気の弱い女子は真面目でいい人と思ってた男子からいきなり「やらして」などと言われたら軽く病んでしまいます。「断りゃいいじゃん🎵」は相手を限定した考え方で全ての方にはフィットしません。メンヘラも同様にいきなり豹変したら相手はどうしていいのか分からないですし、受け手が動揺するほどに責める傾向もあります。

 

両者共に『逃げ場を塞いで皮を脱ぐ』様な手段を無意識にやってしまいがちなので自己申告しつつ最初から小出しにした方がわたしは良心的に思います。 

 

『あー自分たまにそゆとこあるなー』

 

と思うだけでも無駄な事故を防げますし、また同時に受け手側ももそういった相手の気質を見抜けるようになる事がやはり大切だなと感じます。



このテーマを考えていて思ったのですがカテゴライズというもの自体がいつでもほんの少し【毒】を孕んでいて、限定的な状態と「人格」を混同させてしまう所がある気がします。


ここ数年やここ数週間の心や行動に問題があったとしても、何かのきっかけで改まるかも知れませんし、後ろ指を指すよりも自分が誰かの"きっかけ"になれるように勉めて過ごす方が素敵になれる予感がします。


相手がどんな人であれ自分に対してだけは善い振る舞いをしてくれる、という事も十分にありえます。

自分にとって合わない相手とは自然に距離を取り、好ましくない考えを発動させない【気遣い】ができるようになりたいものです。

ビジュアルブースターでぶち上げ❗

最近元気が出なかった。

大切なことを忘れてたから。

 

そう、筋トレ。

 

 

 

自信を付けなくちゃ

評価されなくちゃ

必要とされなくちゃ

 

 

を手放したら、

 

目的も

目標も

達成感も

自己肯定も

居場所も

 

 

 

なんにも無くなっちゃって

肩書きや関係性で作っていた「わたし」がそっくり無くなっちゃった。

 

楽、だけど 抜け殻。

 

 

 

よーく寝て

休んで

サボったら、

 

ふと大好きなルイス・ヨロさんの絵が見たくなって検索。。。

 

 

 

わたしに足りなかったのはこ、こ、これだー❗❗

 

 

 

そうですとも。モデルスクール時代にさんざっぱら「具体的なビジュアルを決めて目指せ」と言われ、かき集めたモデルのパーツをコラージュして壁に貼り減量とトレーニングに明け暮れたあの頃(追い詰められてたので結果はいまいちでしたが)。

 

 

 

今でも

肩甲骨を寄せたいとか

肋骨寄せたいとか

弛んだ下腹部やだとか

ヒップトップを上げたいとか

 

やんわりと気にしてたけど

 

「これ」という答え(現実から遠い方がいい)をビジュアルで脳にインプットする大切さを忘れていた。

 

 

一目見ただけで理屈なく

背筋が伸びる

頬がにやける

胸が高鳴る

 

そんな画像は気持ちを引き締めたり、優しくなれたりするよ。

 

 

わたし、

年齢的にも体質的にも美しいガリ細になれない

男性的な筋肉質も顔に似合わない(好きじゃないし)

 

ルイスさんはメタル系バンドのジャケットやファンタジーキャラクターなど手掛けるスペインの画家。美女とクリーチャーのカップルを描いた作品(激エロなのに幸せそう)が衝撃的で一気にファンになりました。彼の描く女性はタフそうに見えてほっそり。ほっそりなのにムッチリしてる。柔らかなハリがあってプリッとツヤツヤ。特にヒップが好き。


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ビクトリアシークレットのアドリアナ・リマちゃん(どぅわい好き❤)みたい。


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ね。

 

 

 

 

なんか一目で「うぉっしゃーー❗✨」ってならせてくれる。


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とりあえず腹筋、背筋、尻上げを再開します。

 

昨日フライングタイガーで念願のコロコロを買ったので早速使い始めたよ❗


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みんなもビジュアルブースターを見方につけよう🙆

 

 

 

微笑合掌

【ゆらり ゆらりと くらげが】

※【】このカッコがある時は詩です

 

 

 

 

 

ゆらりゆらりと くらげがゆれる

 

ゆらりゆらりと けしきがゆれる

 

ゆらりゆらりと あなたがゆれて

 

ゆらりゆらりと じめんがゆれる

 

ゆるりゆるりと なかみがとけて

 

ふわりふわりと からだもういて

 

 

 

 

どしん

 

と地面に落ちる

 

 

物語のはじまり

全わたしが土下座

もう、嘘嘘嘘。嘘の総合商社ですな。

 

 

経緯を説明したいけど上手くできない。

 

ここ2週間ほど壮大に臍を曲げ、嫌なことがフラッシュバックしブラックなボックスがオープンインザナイトでした(意味不)。

 

発端は大腸ポリープ摘出からの生検結果を聞きに言った日。休みを取ると言ってた主人が仕事になったのか声もかけずに早朝家を出てしまい、午後まで連絡がつかなかったこと。

 

で、毎回友達たちが優しいメッセージをくれるから対比でこんにゃろ感が募り喧嘩に発展してしまった。

 

地雷ワードを言われたので1週間ほど完全にコミュニケーションを絶った。というかできなかった。「そのくらいで・・・」を我慢し続けて病んだ経緯があったことも手伝った。

 

 

その間、縁を切り損ねた人からの連絡が入ったり、話を聴いて欲しい友達から逆に愚痴られたり踏んだり蹴ったり。うまく言葉にできなくてまたそこでもモヤモヤが募り。

 

 

あらゆる嫌だったことを頭の中でひっくり返して咀嚼し直してはイライラを持続させた。

 

 

一方で主人や周囲に依存的な自分にも気付いて、今の自分を脱するために何が出来るかを模索もしていた。

 

 

良い悪いは脇に置いて自分の気持ちを吐き出しながらそれ系の本や音声コンテンツやワークの力を借り掘り下げていったら、理不尽な過去に縛られているわたしがいた。

 

「あー、わたしは母や父の胸で泣きじゃくった事がないな。それがしたかったんだけどさして貰えなかったから我慢し始めたんだな。」

 

と、泣きながら気付き。

 

そんで、自分が思う以上に自分に蓋をしてたことを知る。

 

 

自分を知るためにできるだけ素にしていこうとシンプルを心がけ、服を気にしなくなったら人の服が気にならなくなり、こだわりだと思っていた場所とかも嘘みたいに気にならなくなり、人の目もそんなに気にしなくなり、家族のことが疎ましく無くなり、自分責めが無くなり。

 

どこへ行くにも持っていた大きめのバッグもやめ、財布もやめ、ラフな朝の散歩からそのまま思い付きで渋谷のセミナーに行き、寝たいときに寝たいだけ寝て言いたい事を言ったらヒントになる物と出会い、

 

 

ああ、わたしはとても人を恐れていてそのために作った色々な嘘を纏って頑張って来たのだな、周りには迷惑に思われただろうけど我ながら偉いしそんなとこ可愛いな、と思えた。

 

で、忘れていたけど自己中心なようでやっぱり根底にはいつも確実に『誰かのために』があったなあ、と思い出して。ただ、それが確実にその誰かとやらに届くよう、うまくデザインできていなかったことがすごく良くなかった。

 

 

出会ったのに繋がれないまま人が去っていくことを心から許可できたついでに『自分自分』を守る必要が無くなってしまった。寂しさはあるけど仕方がない。相手に合わせ、繋ぎ止めるために使っていたエネルギーは新たな貢献に使うべきものだった。

 

 

もっと自覚をもって人の役に立つことをしていこう。それができるわたしだと言うことを恥ずかしいくらい忘れていた。善悪ではなく、どんなに過去をほじくっても出てこないものを欲しているんだからもうほじらない。知ってはいたけど、どんなに振り返ってほじっても過去は変わらない。

 

 

なんの話かよくわかんないし、とても個人的なあれなんだけども、不快にさせた人ごめんなさい。上手にできないわたしでごめんなさい。これからどう振る舞って行けるか分からないけどどうか傷の浅い内に去ってください。わたしと関わらない世界にも幸せはあります。そして「別にまだ見てられるけど」という方々、きっと何かお返しできると思います。引き続きよろしくお願いします。

 

 

 

微笑合掌