じゅんこイズム ~詩とか怪文書~

私の隙間に住み着いたあれやこれやを綴ります。好いてくれたらうれしいですが嫌ってくれても良いのです。

お一人様

みんながカップルや家族で行くような場所へ一人で訪れることを『お一人様』と呼ぶのが流行りというよりも当たり前のように歓迎され始めていて。


焼き肉屋さんや遊園地まで、本当は一人で行ってみたいけど人目が少し気になるなあと遠慮しなくて良くなりました。




けれど昔から


お一人様[合戦(かっせん)]


っていうのがあって。




誰も戦ってないのに見えない甲冑を着て

 

「暑い〜、重い〜」

「さては貴様?憎っき仇め。」

「隙きあり!」

 

 て、誰かを斬っている。


合戦、終わりましたよと言われても信じられなくて、仮に合戦がなかったら何をしていいか分からなくて。

戦っている間は命の限りに生きているような気持ちになっていて。



生きているとたまにそういう時があります。

そういう時には美味しい焼き肉でも食べると良いと思います。

おかしな前提

世界は敵でわたしは弱くて。

 


みんなが強く見えたから、「弱さ」という剣でなら人を斬ってもいいと思っていた時期があります。

 

暴力というのは根本的にこんなふうな理論なのかも知れません。

 

「どうしてわたしばっかり」

「どうしていつもこうなるの?」

「だったらもう、こうしてやれ!」


そう思ってしまう時は大体前提が間違ってるような気がします。


おかしな行動や言動をしてしまう時は大抵感情的で、大抵追い詰められています。


そんな小さなことでどうして?

そんな理由でどうして?

一体何が問題なの?


と言われても、当の本人は分かってもらえないこと自体が受け止められない。


わたしたちは同じものを見て同じ世界にいるように思うけれどその人その人、目の数だけ別の世界があるんです。


本人も周囲も知り得ない世界の齟齬があるんです。


ある人が見たら仲の良い親子

ある人が見たら年の差カップ


前提が違っていたら意味は変わります。

だから分からなくって当たり前なんだと思います。

イケてない理由 2

わたしより素敵な人は沢山いるし

わたしより出来ない人も沢山いる


その基準はわたしが勝手に決めているし、みんなも勝手に決めている。


比べること自体にはたぶんあんまり意味はなく、



未来に待っているのはご褒美やハッピーやポジティブやゴールでもなく。



欲しいものを欲しがっている自分は

何を手に入れても

欲しいものを欲しがっている自分のまま



あれはいけないと怒っている自分は

何か解決しても

あれはいけないと怒っている自分のまま




今している、感じていることがそのまま叶えられて行く。


そう思う。




芸能人のスキャンダルに怒っている人は

ほとぼりが冷めると

子どもの担任に怒っていたりする。



カッコいい車が欲しいと稼いだ人は

車を買うと

マンションを買うんだと稼いでいたりする。 





本当は


すごいことなんかできなくていい

社会的にダサくてもいい

問題も放っておいていい

難しいことも知らなくていい

親しくない人を嫌ってもいい



そんな風に教える親はいないし、その教育は正しい。



でもわたしは長い間、意思や欲求を消すことで放棄することで自分を守っていまった。ただ、ただ生きていることを世界に許されたくて。


でも、

何をしても、何を手に入れてもなぜか生きていることを世界に許されたいわたしのままでした。



わたしはこれがすき

わたしはこれがいや


それを捨てない、弁解しない。理解は求めても承認を求めない。世界がどうでもわたしは許そうと気付いて。


盾は守ってくれるけど、光を遮ってしまう。

光を得るには身を晒すことが必要で、自分を認められなければさらけ出すことはできなくて。



守ることをやめたら、自分の中の

飼い慣らせない、隠すしかなかった 怒りや悲しみに出会って。


でもそこで悩んだり向き合うとそれが続いて行くから


だから


「ぷーっ!あなたって恥ずいね!面白いね!」


て思うんです。



生きるってそのくらいでいいんですよ、きっと。


イケてない理由 1

分かっていても忘れてしまう。

知っているのに実行できない。

 

 

そういう事がよくあります。

自分でその状態に気付いているのに自責してばかりで行動に移せない時もよくあります。

 

 

前々から言っていないとやってくれない家族にうっかり急ぎの用をお願いして断られてヘコんだり、でもまたしばらくして全く同じように頼んでしまったり。


本当はこうしたらいいのに、

本当は嫌がるの知ってるのに、


わたしのタイミングで「こうして欲しい」を手放せなかったり。





私達は何かがうまく行かないとき、ついイライラして焦って、なんだか無性に腹が立って、気付くとそれで貴重な時間を消費してしまう。

けれど、生きていく上での心地良さや気持ち良さは決してタダで与えられる物ではなくって過去のラッキーですら、よくよく考えるとちゃんと自分から取りに行ってる。

 

 

自分は何によって気持ちが良くなるのか。何によって幸せを感じるのか。何を望まないのか。何を大切にするのか。

 

答えは世界のどこでもなく「自分」の中にしかない。

 

 

わたしが答えを決めていなければ周囲の人間も神様も何をしてあげたらいいか見当が付かないのは当たり前。


ないものねだりしてもわたし以外は答えを聞く方法がない。

 

 

普段のわたしはどんな刺激にどんな反応をしている?



好きな単語、考え方、言い方

嫌な単語、考え方、言い方


 

良く見て

良く感じて


ひとつひとつの小さな出来事と

ひとつひとつの小さな心の動き


を細いリボンで丁寧に

何組ものペアに繋いで


とっちらかった心の中を

静かにシンプルに整頓していく。


 

こだわり

思い込み

正義

常識

 

本当は良い事なのになんだかしっくりこない

本当は嬉しい事なのになんだか不快になる


理屈は分からなくても感じてしまうことを正直に認めること、誰にも裁かせずに。


だって

みんながみんなと同じでいいなら

きっと神様はわたしを創らない

 



人生に出口なんかなくて

今していること、感じていることが永遠に続いて行くだけかも知れないなと思うことがあります。


喧嘩しない方法は知ってる

嫌いにならない方法は知ってる

ご機嫌になる方法も知ってる

好きでいられる方法も知ってる



できないのは

なるべく良い気持ちで生きよう、と決めきれていないから


足を掬われてしまうのはそういう時なのかも知れません。

 

 

 

微笑合掌

意中の人、の前に。

もっと人生を良くしたい、自分自身も良くなりたいって言う知人女性の相談を受けて。

 

 

 

『信じる』って

 

 

「この人は味方だ❗」

って決めつけるよりも

 

 

「あなたとどんなトラブルが起きてもわたしはなんとかできる」って決めることのように思う。

 

 

強くしなやかに「もうなってる」ことにしよう。

 

美しく朗らかに「もうなってる」ことにしよう。

 


素早い人はせっかちだし

敏感なひとは神経質だし

出すぎた長所のことを人は『短所』と呼ぶんですよね。


だから、どんなに足掻いても磨いても、

結果そのままの自分で生きていくことに変わりはなくて。

 


他の誰かに変わることがかえって遠回りだったり

必死に成長しようとして余裕をなくしてしまったり

自分を見つめ過ぎて周りに意識が行かなくなったり


わたしも 良くやってしまう。

 


必要なのは効率の良い『運転方法』なのに。

 

 

普通免許を取る時にみんなに言われた秘訣は


「もう、慣れ!」


近所から初めて、たまに冒険して

ちょっと擦ったりしながら


大切な誰かと

遠くへ遠くへ

遊びに行ける私達になろうね。

【牛乳】

※タイトルに【 】がある時は詩です。



洗っていない

 

朝食をとってから何時間経ったか

 

一周まわって 白々と明ける気配がカーテンの外に聴こえる

 

世界とわたしの間には今日も薄い膜がある

 

その膜で守っている

 

その膜で隔てている

 

全体に取り込まれて「個」を失わないように

グラスの中にこびりついている

 

 

「ダメ」の烙印を押すために 少しでも見下すために

 

ずっと人を測っている

 

交わることはない 触れ合うことはない

 

ちょっと知った気になったり 傷つけたり それだけ

 

 

 

ばか ちかいよ

【自傷行為】

※タイトルに【 】がある時は詩です。



自分をめっためたに傷付けて

自分をぎったぎたに追い込んで

ひーひー泣きながら

それでもどこまで生きて行けるのか

知りたいわたしがいる。

 

まだ足りないまだ足りない

次は何をしてやろう

周囲に避難されない大義名分はなんだろう

 

フラフラになりながらそれでも歩むのをやめない

やめられない

 

歯を喰いしばる過程で

うっかり評価や成果を得ても

「ありがとうございます」と言いながら

1mmも嬉しくない

マイナスの評価から逃げられればいい

称賛に価値はない

 

傷付けて傷付けて

 

幸せになりたいといいながら

ほんとはそんなものいらない

幸せを感じている自分に気が付くと

また

めためたにしたくなる

 

「あなたのチャレンジは自傷行為だ」

「あなたは中毒になっているよ」

 

二人に言われた。

知ってる。そうだよね。

初めからそう言ってくれてたものね。

 

泣いている

苦しんでいる わたし

じゃないわたしはわたしじゃない

 

痛く痛くしたい

そうじゃないのが怖い

   

ここまで自覚してなかったけど

ずっーとずっーと繰り返してきた。

 

   

果実はいらない

実る課程の奇跡だけ欲しい

でも人って「食べない」と病んで死ぬよね

そのヒリヒリに「生きている証」を感じている

まるで神の愛を試すように。

わたしに生かす価値があるか問うている。

 

きっとそんな人いくらでもいる。

 

痛くないわたしに価値はない

痛くないわたしは面白くない

痛くないわたしは美しくない

痛くないわたしはわたしじゃない

 

どうして?

 

   

   

 

ちがう

   

   

   

わたしをてばなしたい。